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著名人インタビュー この人に聞きたい!
大九明子さん[映画監督]

写真:大九明子さん

1968年生まれ。神奈川県横浜市出身。明治大学政治経済学部政治学科卒業後、官庁の外郭団体の秘書として務める。退職後、お笑いタレントを経験。そして28歳の時、映画美学校の第1期生となる。学内のコンペで選ばれ、自ら脚本を書いた『意外と死なない』(1999年)で映画監督デビュー。
主な監督作品は、『恋するマドリ』(2007年)『東京無印女子物語』(2012年)『ただいま、ジャクリーン』(2013年)、『モンスター』(2013年)、『放課後ロスト』(2014) 他

2015年2月 岡山を舞台に女性の友情を描いた作品『でーれーガールズ』が公開。

=> 所属事務所「猿と蛇」のHP(http://www.sarutohebi.com/)


「 飽き性なんです。」と自分について語る大九監督。
大学で商業英語のサークルに入るも、4ヶ月で辞め、就職した団体職員の仕事もわずか4ヶ月で退職。
しかし、どんな時もそこで立ち止まらずに、自分が気になる「空気」を敏感に感じ、実際にそこに行き「何かを作りたい」を実行してきた。
「何かを作って、人を喜ばせたい」一心で、劇団員・お笑い芸人・俳優の世界に飛び込む。
流転するなかで出会った映画監督の仕事。それは、子どもの頃夢中になった芝居作りに通じていた。

取材日:2014年8月/取材・文 宇田川真也/カメラマン 福水紀夫/撮影協力 スルガ銀行d-labo

映画:でーれーガールズ

大九明子監督作品 『でーれーガールズ』
2015年 2/21全国ROADSHOW(2/14 岡山先行)
=> 公式サイト(http://deereegirls-movie.jp/)
原作:原田マハ「でーれーガールズ」(祥伝社刊)
脚本:源孝志
出演 優希美青 足立梨花 白羽ゆり 安蘭けい ほか
製作:「でーれーガールズ」製作委員会
配給:名古屋テレビ
(C)2015 原田マハ/ 祥伝社/「でーれーガールズ」製作委員会

大九明子さんのタイプ別診断  << 独創的な挑戦者 >>
■このタイプの傾向・・・興味関心の方向:どんどん広げる/物事のとらえ方:抽象的イメージに着目/結論の出し方:頭で考える
■このタイプの偉人・・・織田信長/アガサ・クリスティ
■このタイプに多い仕事分野・・・1位:「金融」に関わる仕事/2位:「放送・出版・マスコミ」の仕事/3位:「旅行・レジャー・セレモニー」の仕事


第1章 14歳までに味わった「仲間と夢中になって作る悦び、空気」

「何かを作る」のが好きだった小学時代。

――子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?

大九明子、インタビューカット1-1

【大九】とにかくモノを作るのが好きで、何かしらいつも作っているような子どもでした。幼稚園の時には、絵を書く、粘土をこねる・・・。
小学校に入ってからは、学芸会の時にクラスの友達を集めて劇団みたいなものを作ってお芝居をしていました。クラスのささいな出来事をデフォルメしたような内容でした。決まったメンバーで集まって、シナリオのようなものを私が書いて、みんなで毎日毎日練習して。笑わそう笑わそうとして、作っているお芝居でした。
メンバーは女性ばかりだったのですが、是非入りたいって売込みが来るくらい学校内で売れっ子になりました。
(私は)やりたいことが色々思い浮かぶと、実践してみたくてしょうがなくて、友達に言ってるうちに自分が中心になっているみたいな感じでした。人を喜ばせたいっていうことがすごい強かったと思います。
よく考えるとその頃もう既に演出業みたいなことをしていたんですね。

――他に好きな教科や夢中になったことはありますか?

【大九】国語は凄く好きで、国語と図工はとにかく大好きでした。子どもの頃は、割と「飽き性だね」ってよく言われて、全然続かないタイプで、習い事みたいなことをほとんどしていなくて書道だけは4歳から30歳過ぎまでずっと続けましたけど、それ以外のことは剣道もやめちゃったし、そろばんも習いにいかなかったし、塾もいかなかったし、ピアノもやらなかった。
学校での授業やお芝居やモノを作る遊びで、いっぱいいっぱいでした。

楽しかった中2から受験に直面する中3へ。「空気」の変化を感じた。

――中学時代の思い出について教えてください。

【大九】公立の中学校で、美術部に入りました。はじめて油絵を教わって、油絵の作品を何枚か描きました。
中学生になると、突然みんな色気づいてきて、男子の話を良くしていました(笑)
好きな男の子と同じシャーペンを使いたいと思ったりとか・・・なんかこう盗み見て「あ、あれ買おう」とか。そういう小さな喜びを見つけていましたけど。中2の時になんだかクラスの仲がすごく良かった記憶があって、すごく楽しくて、ずーっと中2でいたいな~というのは思っていましたね。中2のクラスがみんな仲良かったんですよね。担任が若い女性で音楽の先生だったんですけど、あれしなさい、これしなさいっていうことがない先生でした。合唱コンクールでは、みんな一生懸命やっていたし、音楽の先生だったから、音楽の授業も楽しくて、みんなで、上手に歌おうとかでなくて、「全員で大声で楽しく歌いましょう!」みたいなことを言ってくれるような先生だったので、「サンタルチア」っていう曲を、絶唱っていう感じでみんなで唄った記憶があって、音を楽しむっていうことだからそれでいいんだよっていうような先生で、中学2年生の私にとっては、すごく楽しい授業でした。先生の魅力が際立っていると皆なんとなくそこに吸い寄せられて、なんとなく楽しく学校に行くし、争いもそうそう起こらないものなんだな~なんて思っていました。中1と中3はそれほど楽しかったっていう印象はないんだけど、中2のときのクラスはなんだかやたら楽しかったし、恋の話みたいなものも含め(笑)、なんだかちょっと不思議な1年間でしたね。

――中学生の頃は、受験やその先の進学のことなどは考えることはありましたか?

大九明子、インタビューカット1-2

【大九】ありましたね。漠然と「どうなっていくんだろう」とか、今楽しいこの中2のクラスの子たちもみんなバラバラの高校に進むんだよな~とかいう漠然とした不安というか、そういう意味で「ずっと中2が続けばいいのにな~」なんて当時は思っていました。

中学3年生になってガラッと180度空気が変わって、それまで仲良かったグループで固まって、楽しく遊んだりしているんだけれども、「受験」ということが一回挟まってくると、進む学校によって、ちょっと分かれてきちゃったり進学する高校が決まってくると・・・なんか寂しさみたいなものも味わったりしました。

「仲の良い子と同じ高校に行くわけじゃないんだな~」とか。勿論自分は行きたい高校があって、そこに行きたいんだけれども、そうすると「この子たちとは違う高校になっちゃうんだよな」っていうなんか、なんとも言えない、大人への第一歩のようなものを感じている頃だったかもしれないですね。