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著名人インタビュー この人に聞きたい!
三枝成彰さん[作曲家]

写真:三枝成彰さん

1942年生まれ。東京藝術大学を首席で卒業、同大学院修了。現在、東京音楽大学教授、神戸女子大学客員教授。 オペラ作品をライフワークとしており、代表作はオペラ「忠臣蔵」。各分野の表現者・思考者たちが日本文化のさらなる深まりと広がりを目的に参集したボランティア集団エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議の幹事長も務める。


学生時代からその作品を評価され、モ-ツァルトの未完曲「ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための協奏交響曲イ長調」を、オーストリアの国際財団モ-ツァルテウムからの依頼で補筆・完成(1991年)させるなど、クラシックの分野において、世界的な名声を手にする一方、映画やドラマ、アニメなどの音楽も手掛ける作曲家の三枝成彰さん。活躍の場は音楽の枠を超え、大学の教授やコンサートのプロデューサーもされています。そんな三枝さんですが、ご本人によると「作曲家は父が決め仕事。自分には才能がないから、人の3倍努力した」そうです。一つの分野で名を成した“天才”の舞台裏はどうなっているのでしょうか?早速、のぞいてみましょう。

取材日:2007年12月



第1章 演奏家は、「好き」でなった人よりも、親にやらされた人ばかり

子どものときに思いっきり遊んだ方が、大人になってまじめになれる

――三枝さんは、少年時代はどのようの過ごされたのでしょうか?

三枝成彰/作曲家

【三枝】私は、和光学園という、何も勉強しない学校で育ったんですよ。小学校、中学校、高校と。この学校には、ピアノを朝勉強するため、うちの父が、1時間目は出なくてもいいという話を取り付けて入ったんです。ですから、登校するのは10時頃で、いつも校長先生と一緒でした。授業は、新聞づくりであれば、その日一日新聞づくりで終わるんです。今日は写生に行くというと、写生だけで終わるんです。そんな学校でしたから、小学校でも中学校でも、勉強なんて全然しなかったですね。高校のときも、学校で勉強した記憶がない。好きなことをさせてくれて、毎日学校へ行くのが楽しくて、友達と遊ぶのが楽しかった。勉強ができることが偉くないから、いじめもありませんでしたね。

一方、小さいときからオペラや歌舞伎、浄瑠璃を観るなど、情操教育には熱心でしたね。俳優座の芝居にはよく連れていかれましたし、文学座の芝居も学校で観に行ったのを覚えています。俳優座はできたばかりで、あそこから海が見えました。芝居のほうはあんまり覚えていないんだけれどもね。「お、六本木から海が見えるんだ」と驚いた記憶だけはあります。それはとても大切なことで、知識を、教養を身につけさせる、本を読むことも含めて、いい絵画を観ることのほうが、ものを詰め込む教育よりずっといいと私は思います。

それで、進学できないかというと、できるんですよね。芸大でも早稲田、慶応でも。現役では私も友達も全員落ちましたが、浪人した1年間というのは、しゃにむにやりましたね。普段遊んでいましたから、それはもう馬力がすごいですよ。1日10何時間勉強していましたね。大学に入ってからは、みんなまじめに勉強するようになって、医者になった者もいれば、博士号を取った者もいます。

だから、受験なんてね、最後の1、2年頑張れば志望大学に行けると思いますよ。また、小さいときに思いっきり遊んでいると、大学に行ってから勉強しますよね。逆に、小さいときから勉強しすぎると、飽きちゃうんですよ。人間って、まじめになれる時間ってそんな長く続くものでもないんですね。だから受験で使い切ってしまうと、大学に入ってから何もできなくなっちゃうのかもしれない。私は、勉強のやり方もいろいろあっていいんじゃないかと思うんです。

作曲家というのは父の意思。私が生まれる前から決まっていました

――子供のときは自由奔放に過ごされたようですが、音楽を仕事にしようと決められたのはいつ頃ですか?

【三枝】これは私の父が決めたことで、自分で決めたことではないのです。父は作曲家を志していたんですが戦争でなれなくて、息子に自分の夢を託したようです。男の子が生まれたら作曲家と決めていて、胎教と称して、私が母のお腹に入っている頃からレコードを聴かせていたようです。

――英才教育ですね。

【三枝】英才教育というのは、天才に育った、神童になった人が言うんだろうと思うので、私の場合は普通ですから、小さいときからそういう環境にいたと言う方が正しいんだと思います。

――とはいえ、親の想いを引き継ぐというのは、難しいと思うのですが。

【三枝】最近のスポーツ選手は、卓球の愛ちゃんをはじめ、ゴルフの若い人たちも、親が決めた職業で成功していますね。音楽もそうですけれども、子どもが、自分が好きでやりたいと思ったときは、もう間に合わないかもしれません。例えばヴァイオリンやピアノの演奏家は18歳で決まると言われているんですね。となると、10歳から始めると8年しかないですよね。4歳からやっていれば14年。そう考えると、子どもが好きになってから始めるのでは遅いかもしれませんね。作曲、声楽家は違うんですが、演奏家になるんでしたら、4歳ぐらいから勝負をかけないと、と思います。

演奏家を志すのは、子どもが好きになってからでは遅い。みんな、親の意思でやっている

――音楽に関しては、自分の意思よりも親の意思と。

三枝成彰/作曲家

【三枝】ええ。私が思うには、親が無理やりやることが大切だと思います。私の周りでは、「親に無理やりやらされて、楽しいと思っていなかった」と全員が言っていますから。仕方なくてやった人たちが、音楽の仕事でそれなりに生計を立てているんだと思います。

私の場合、音楽が好きになったのは45歳ですからね。今65歳ですけれども、今から20年前に、作曲をやってよかったと思いました。それまでは好きではなかったというのが本音ですね。ですから、好きな仕事が見つかるのをずっと待っていて済む問題ではないと私は思いますね。

それから、職業というのは、昔は親の職業を継いだんです。パン屋さんのせがれはパン屋。肉屋さんのせがれは肉屋。職業の選択なんてなかったんですよ。私もそうですが、いやでも仕方なくやる。それが生きていくすべだったわけですね。今の時代、選択ができるようになったということが、悩みの始まりですね。夢は大きいんだけど、努力はしない。すると最終的にはニートになっちゃうんですよね。自分が持っている能力をどこまで引き出せるかというのは、頑張れるかどうかなんです。頑張れる人間と頑張れない人間がいる。これは当たり前なんですが、最低限、食べていくだけの努力はしないといけないと思いますね。

 
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