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著名人インタビュー この人に聞きたい!
ルー大柴さん[タレント]

写真:ルー大柴さん

1954年東京都生まれ。本名は大柴亨。高校卒業後、自作のアクセサリーを露天販売しながら、欧米をヒッチハイクで放浪。74年に帰国後も、東京・横浜などで露天商などを続ける一方で俳優を志し、故三橋達也氏の付き人を経て、勝アカデミー第一期生(小堺一機ら)となり故岸田森氏に師事。長年、下積み生活が続いたが、関根勤の「カンコンキンシアター」に出演したのがきっかけで脚光を浴びる。1992年、ゴールデン・アロー賞芸能新人賞。2006年、ルー大柴完全復活宣言をうたい、ブログを開設し、再ブレイク。2007年、NHKみんなのうたで「MOTTAINAI」を歌い、環境保護を広く呼びかける。著書に、『男の落とし前――奇跡の大復活の真実』『ルー炎上!恥かけ、汗かけ、涙しろ』『トゥギャザーENGLISH』などがある。


かつて、ルー大柴さんといえば、うるさくて、暑苦しくて、嫌いなタレントNo.1にもなったほど。でもそれは、とにかく名前を覚えてもらうための“戦略”だったとか。再びブレイクした今回は、懐の深さも備え、「ブログを読むと元気が出る」と若者のハートをしっかりキャッチ。そんなルー大柴さんに、自分らしく生きるための信条をお伺いしました。

取材日:2007年11月



第1章 出しゃばりキャラを演出し、汗かき、恥かきやってきた30代

やる気のあるマネージャーの「だからだめなんです」の一言に発奮

――50歳を過ぎて、2度目のブレイクですね。

ルー大柴|やる気のあるマネージャーの「だからだめなんです」の一言に発奮

【ルー大柴】30代の後半に芽が出て、平成4年にゴールデン・アロー賞芸能新人賞をいただきました。その後、もう一度芝居と向き合いたくて、40代は舞台を中心に活動していました。舞台をやると稽古が忙しいものですから、テレビにあまり出られなくなるんですよ。そんな中、地方へ行くと、「ルーさん、最近出ないね」とか、「ルーさんのああいうインパクトが青春だった」とか、若者だけでなく、中高年の方からも言われたんですよ。それでも私としては、一度ブレイクしたんだから、このままでいいかなと思っていました。

それが、50歳を過ぎてマネージャーが代わりましてね。彼は、わりとズバズバ言うタイプの若者で、「ルーさん、このままでいいんですか?」「どんどん歳をとっていきますよ」「このままでいいならいいんですけど、何か新しいことにチャレンジしてみたらどうですか?」と私にハッパをかけてきたんですよ。それで、「オレに何ができる?」と聞くと、「ブログやりませんか?」と。ブログなんて言われても、「私はマシン音痴なんだからできないよ」と返事をすると、「だからだめなんです」と怒られちゃって。さすがに、「よし、そこまで言うんだったら、おれはもう一回、ルー大柴として完全復活をディスイヤーしてやる!」と燃えましてね。そうして、ルー大柴完全復活宣言をして、ルーブログを立ち上げたんです。といっても、ブログのことは全然わからなかったので、最初は作家さんや、いろいろな人に教えてもらいながらで、まだそんなにうまくはないんですけど、何とか自分で打てるようになりました。

ブログには、日常生活で私が感じたことを日記風に書いていたんですけど、3カ月後ぐらいから英語と日本語トゥギャザーになってきちゃって。そうしたらマネージャーから、「ルーさん、英語が多すぎるんじゃないですか?」と言われたので、少し減らそうかと話していた矢先に火がついちゃって。ハイスクールの子たちの間で「面白い」と評判になって、爆発的なアクセス数となり、「ルー語」として結構はやったんです。それと同時に、NHKの「みんなのうた」で流していただいていた「MOTTAINAI」が好評で、当初2カ月の予定だったのが最終的に8ヶ月もオンエアーしてもらいました。また、本とCDを出し、さらにカルタまで出しました。

いま、「バイマイセルフで再ブレイク」なんて言ってますけど、これは私一人の力でやり遂げたわけではなく、マネージャーや作家さん、そしていろいろな方が私を後押ししてくれて、お膳だてしてくれたおかげなんですよね。だから、これはみんなの力なんです。私も、もう53歳で初老なので、ブレイクしたからといって奢りもございませんし、一つひとつの仕事を忠実にやっていけばいいかなと思っています。

演者と裏方は水と油で、ファイティングした方がいい仕事ができる

――前回と今回は、何が違うのですか?

ルー大柴|演者と裏方は水と油で、ファイティングした方がいい仕事ができる

【ルー大柴】20代に食べられない時期がございましてね。女房や子どももいたのですが、バイトして生活していて、つらくて何回もやめようと思ったんです。でも、どうしても夢を捨てきれなくて。そうして、34歳でやっとチャンスが巡ってきたんです。そのときは、とにかく名前を覚えてもらいたくて、ちょっとの隙間でも自分を出して、いままでにないタイプのタレントとしてインパクトを与えようと、出しゃばりキャラを演出していました。まさに藁をもつかむ思いで、30代は汗かき恥かきやってきたわけなんですけども、個性的すぎて嫌いなタレントナンバーワンになったりもしましたね(笑)。ただ、ラジオやテレビへの出演依頼は着実に増えて、「風が来た!」と感激したものです。それに対して今回は、「こういうのもあるのか」と一歩引いて見ている自分がいて、それが心地いいですね。

――非常にタイミングよく、風に乗っている感じですね。

【ルー大柴】私は、強運を持っているのかもしれませんね。実力があっても、風に乗れない人はたくさんいます。人との出会いというのは、デスティニー、運命だと思うんですけれども、私は、やる気のある若いマネージャーと出会うなど人にも恵まれ、非常にラッキーでした。また、私は年下の人とジョブ、つまり仕事をするのが好きなんですよ。同い年だと、感覚が似ているじゃないですか。だから、演者と裏方は違っていた方が刺激になるんですよね。水と油の方が。イメージ的に、水と水、油と油の方がいいように思うかもしれませんが、「何だ、この野郎!」といった感じで、精神面でお互いにファイティングしないと、いい仕事はできないんですよ。

 
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