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著名人インタビュー この人に聞きたい!
平澤隆司さん[ヘアアーティスト]
1978年神奈川県川崎市生まれ。青山のヘアサロン「MAX BLONDE」にヘアアーティストとして所属するかたわら、人気TV番組「おネエ★MANS」や雑誌等にて、卓抜したテクニックを披露。“新世代ヘアー界のカリスマ”として美容業界だけでなく、ファッション界からも高い評価を得ている。著書に『美髪宣言』(ゴマブックス)がある。
希望が断たれた時、あっさりとそれを捨ててしまうところがいい。こうありたい、こうでなければならないという枠にとらわれず、つねに自由な生き方をしている。いわゆる天才肌である。音楽の道を捨て、進んだ美容師の道では「新世代ヘアー界のカリスマ」と呼ばれるまでに。さらに、人気TV番組「おネエ★MANS」に出演し、「平澤隆司」の名前は全国区に。その平澤さん、10代の頃はどのように過ごし、ヘアーアーティストの階段を上りつめたのだろうか?
>取材日:2009年2月/取材・文 野口啓一
[INDEX]
- 第1章 引退したら学校に行かなくなるほど吹奏楽に夢中だった中高時代
- 第2章 バイトに明け暮れた学生時代。接客のバイトでサービスの基本を学ぶ
- 第3章 人と接する仕事は、技術だけでなく、人の気持ちを推し量る感覚も必要
- 第4章 ヘアサロン ハローワークマップ(MaxBlonde編)
●第1章 引退したら学校に行かなくなるほど吹奏楽に夢中だった中高時代
弱っちょろい運動部よりよほど厳しい活動で、忍耐力と根性を培った
――中高の頃は、全国レベルの吹奏学部で活躍していたそうですね?
【平澤】小さい頃からピアノを習っていて、小学生のときには、音楽の先生から指名されて、始業式や卒業式で君が代などを弾いていました。多分、それが気持よくて、音楽が好きになったんだと思います。中学校に入ると吹奏楽部に入部して、フルートをやるようになりました。中学は地元の川崎にある公立中学校に通っていたんですが、高校は吹奏楽部が有名なさいたま市の学校でした。中学のときも高校のときも、タカシが所属した吹奏学部は毎年関東大会に出場するような強豪校で、練習は弱っちょろい運動部よりも、よっぽど厳しかったんです。高校に進学の際には、蒲田とさいたま市、2つの高校の推薦をもらえたんだけど、蒲田だと帰りに遊べないと思って。そうしたら、さいたま市の学校は遠すぎちゃって通学に1時間半もかかったの。朝練が7時半からだから毎朝6時に家を出て、夜も練習だから家に帰るのは12時近く。それを無遅刻無欠席でがんばりました。
また、9月の終わりに関東大会があるので、夏休みなんかは、朝7時から夜7時まで毎日12時間練習。休みは1週間あればいいほうでした。
男の先生だったんですけど、態度や返事にもうるさくって、すぐ罵倒するんですよ。「蹴られてーかっ!」って言う前に蹴ってるし。声が小さいと、いない人扱いなんですよ。「フルートのみなさん」と声を掛けてちゃんと返事しないと、「今日はフルートは休みですね」みたいな。上下関係も厳しくて、部活で忍耐力と根性がついた。
でも、引退したらたった三ヶ月で出席日数が足りなくなってしまうくらい、学校に行かなくなりましたね。今でもそうですけど、タカシ、自分の好きなものには夢中になっちゃう人なんです。それ以外のときは何もしたくなくて、休みの日は家から出ないし、パジャマのまま歯もみがかない、顔も洗わないで、とにかくダラーっとしています。それくらい、はっきりしていますね。だから、それまでは部活のために学校に行っていたようなものだったので、それが無くなったら行く意味がなくなってしまって。それで、学校に行かずに毎日のように遊んで明け方3時4時に帰るという生活を繰り返していたんです。そうしたら、ある日父から、お前はなんだー、パチーンって叩かれ、正座させられて説教されました。もともと父は怒ると怖くって、兄弟でテレビのチャンネルの取り合いしていると、電源コードをハサミで切ったこともあるし、ある時なんかブラウン管を割ったんですよ。でも、絶対に子どもに手はあげませんでした。そんな父から叩かれたのは、これが初めてでした。
音大推薦に点数が足りず、音楽の道を断念。美容師をめざす
――その頃は、将来は音楽の道に進もうと思っていたのですか?
【平澤】高校3年生になるまで先のことはまったく考えてなくて、「ヤダ、どうしましょうこのあと」と思って。部活の先生から「音大受ければ」って言われて、ピアノは今まで習った先生かえて、大学の教授をやっている先生のレッスンを受け、他に、楽典やソルフェージュなど、受験に必要な勉強も習いに行きました。ところが、推薦入試の近くになって、学校に推薦書を書いてもらう段階になって、点数足りないことが分かったんです。それで、ヤダと思って音大を受験するのをやめたんです。
――そう簡単に割り切れるものなんですか?
【平澤】多分ね、ざっくりなんですけど、タカシはフルートでご飯は食べないなと思ったんですよね。理由はね、何万人もの中の一番の頂点に立つのは大変だと思ったから。確かに、中学高校では吹奏学部のレベルの高いところに行ってましたが、タカシはまずピロピロピローって吹いて、ここはこうだなっていう感じで吹くような感覚で入るタイプで、ひたすら練習することができないんですよ。一発目から曲を吹きたいタイプ。だから、コツコツ努力する人にはかなわないって思って。
そうして、コンクールで金賞を獲った実績があるので特別推薦で入れるという、水道橋にある音楽の専門学校に進みました。そこは、6年制の学校で、すべて音楽の勉強しかなくて、音楽漬けですね。2年ごとに卒業があるんですけど、最初の2年間が基礎を学ぶ専門学校で、とりあえず2年行きましょうってなって。この時点で、音楽は趣味で終わるなあ、と思ったんです。それで、高校を卒業して、4月に音楽の専門学校に入学したんですが、半年後の9月に美容学校の通信に入学したんですよ。
- No.39 大九明子さん
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