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著名人インタビュー この人に聞きたい!
藤原和博さん[杉並区立和田中中学校校長]

写真:藤原和博さん

1955年生まれ。78年東京大学経済学部卒業後(株)リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、ヨーロッパ駐在、同社フェローなどを経て、02年からビジネスマンと兼務で杉並区教育委員会・参与を勤める。小中学校での教育改革にかかわり、自ら開発した[よのなか科]の実践が話題となり、03年4月から杉並区立和田中学校校長に就任。都内では義務教育分野で初の民間人中学校長。


藤原先生が都内初の民間人中学校長として話題になり、2003年4月から和田中学校に就任してから、丸2年以上がたちました。その間に、中学生の実態や抱える問題点など藤原先生の中で、はっきりしてきたこともあるのではないかと思います。書籍「13歳のハローワーク」を早いうちから大量に購入して、生徒に読む機会を与えたことや、また、和田中流「14歳のハローワーク」という職業体験を実施しているということもお聞きしています。
今回は、13歳のハローワーク公式サイトのオープンにあたって、第一回目のインタビューを藤原先生にお願いしました。特に、中学生を子供に持つ親や中学生教師が、中学生の子の将来の仕事について考えるときに、どういうことを意識して指導していけばいいのかをうかがいました。

取材日:2005年9月



第1章 人生と「仕事」

「チャレンジを重ねた末がハワイ島、そういう道もあるんじゃないかと思うんですね。」

藤原和博/杉並区立和田中中学校校長

【藤原】今年、僕は家族でハワイへ行きました。高齢の母を、その世代にとって「夢のハワイ」へ連れていったわけですが、そこでちょっとおもしろいことがありました。
街に出たいとタクシーをお願いしたら、たまたま日本人の運転手さんでした。話を聞くと、その人は日本でも運転手だったわけではないんです。四国の田舎から自衛隊に入り、北海道の駐屯地でたまたま行ったお寿司屋さんに「ちょっと握ってみないか」と言われて転職し、そこで身につけた寿司を握る技術が彼を世界に連れていっちゃったそうです。

その後の経歴が、またすごい。まず「ちょっと来てみないか」と誘われて、フロリダのディズニーワールド近くの寿司屋に行きました。かなりお客さんもつかんだ後、現地の旅行会社に転職しましたが、倒産。次にラスベガスでお客さんに付き合ってギャンブルをしているうちに200万円の借金をつくっちゃった。そこで、アラスカからベーリング海へ遠洋漁業に出ることにしました。小中学生もよく食べるフィッシュバーガーの魚がタラですが、そのタラ漁に3カ月出ると200万円ぐらいたまるそうです。それできちんと借金を返済したわけです。次に、別の誘いが来て、プエルトリコという高級リゾートで寿司屋を営んでいたんですが、そろそろ寿司屋は卒業かなというときにたまたまタクシー運転手の職を見つけたので、今度はハワイ島へやってきた。こういう経歴の持ち主でした。

僕は、ある意味で素晴らしい人生だと思います。彼は、寿司を握る技術を覚えた途端に非常に国際性を持って、世界のどこでも食べていけるようになったわけですね。

だから、一番大事なのは「今、ここで、自分が相手に対して何ができるのか」に素直になることだと思う。その繰り返しが自分のクレジット(信用)を高めていき、より大きなチャンスというプレゼントが来る土台になっていきます。この運転手さんも、初めからターゲットがあったわけではないですね。与えられた機会に対して出来ることを続けた結果が、彼のクレジットを高めていき、チャンスがだんだん大きくなった。そのことを強調したいなと思うんです。

よく「キャリアをデザインする」といいますが、最初に描いた夢を実現したイチローや中田は、ごく一部の天才が頑張りに頑張った結果の到達点です。僕も含めた普通の人は、「ビジョンに到達するにはこうじゃなくては」と考えず、それよりも目の前のことに繰り返しチャレンジする。その末にハワイ島に着いちゃった、という道もあるんじゃないでしょうか。

だから、何となくこの子はサラリーマンになって、いい会社に入るんだ、先生や公務員になるんだと親御さんが決めちゃっているのは、すごくもったいないです。もっと無限のチャンスが広がっているので、頭をやわらかくしてから、子どもたちとキャリアについて話してもらったらいいと思うんですね。親御さん自身にも、こんな人生がいっぱいあることに気付いてほしいと思います。私自身、偶然入社したリクルートがこんなに大きな会社に成長するとは思わなかったし、その後、自分が教育現場に入って校長になるとは予想もつかなかったわけですから。