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著名人インタビュー この人に聞きたい!
佐藤可士和さん[アートディレクター]
1965年東京生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。株式会社博報堂を経て2000年独立。同年クリエイティブスタジオ「サムライ」設立。進化する視点と幅広いジャンルでの強力なビジュアル開発力によるトータルなクリエイティブワークは、多方面より高い評価を得ている。ブランディングプロジェクトを手がける明治学院大学では、2007年4月より客員教授に就任。
スマップのアートワークからDoCoMoのプロダクトデザイン、ファーストリテイリングのCI、幼稚園のリニューアルプロジェクトなど幅広いジャンルで活躍するアートディレクター佐藤可士和さん。絵が大好きだった子ども時代から現在の夢まで、率直に語っていただきました。
取材日:2007年12月
[INDEX]
- 第1章 「何やってもいいんだよ」という場を与えてくれた
- 第2章 楽しいことであふれているように自分の仕事もデザインしている
- 第3章 好きなことっていうのは人には与えてもらえない
●第1章 「何やってもいいんだよ」という場を与えてくれた
物心ついたときには、「自分は絵がうまい」と思ってた
――佐藤さんがアートや表現に対して、興味を持たれたというのはいつ頃からですか。
【佐藤】物心ついたときには、「自分は絵がうまい」と思っていました。幼稚園のときには、完全に自分は絵が描けると思っていたんですよ。プロ意識と言ったら変ですけど、僕は絵が得意なんだっていうことを意識して描いたりしてました。
――それはお父さんの影響ですか?
【佐藤】父が建築家だったんで、環境として、家に画材や製図道具、画集がたくさんあったり、わりとあったのかもしれません。それから、僕が絵を描くことに対して、「やめなさい」みたいなことは両親とも全然言わなかったです。影響ももちろんあったと思うんですけど、特別、絵を描けとも言われていなかったですね。今でもよく覚えているのが、職業として初めて意識したのは、漫画家なんですよ。
――それはいつ頃ですか。
【佐藤】小学校3年生。漫画の模写をしていたんです。赤塚不二夫さんの作品とかすっごいグラフィカルだなと思って、「バカボン」をすっごいきれいに模写してましたね。
巧い絵といい絵は違う
――そのまんま漫画家、画家になろうというふうに進んでいたわけですか。
【佐藤】いや、今考えると、絵を描いたりするようなことが仕事になるといいなって、思っていたんだと思うんですよね。僕よりうまい人とかもいっぱいいたと思うんですけど、父親が「巧い絵といい絵は違う」ということを小さい頃から聞いていたような記憶はあるんですよね。「いい絵」というのは、情熱がぼーんと出ているというか、テクニック的に巧いものがいいものではないっていうことを、わりとちっちゃい頃から言われていたんですよ。絵ももっとうまい子とかいたと思うんですけど、自分の感情は、ボンと表現できるという自信は結構あったんですよ。
「何やってもいいんだよ」という場を与えてくれた
――いい教育があったということですね。
【佐藤】小学校の美術の先生はとてもよかったです。すごい面白い先生だったんですけど、今考えたら。授業と言ってもね、何にも教えていないような感じなんですけど、僕がやろうとしていることを相当酌み取ってくれて、ポンと一言、言ってくれたり、のびのびやらせてくれたと思います。 でも、中学校に上がったら、正直、美術の成績はよくなかったりしたんですよね。先生の方針に合わなかったと思うんですよ。でも、絵はすごい好きだったので、中1のときに、東京芸大の学生が「ミロ絵画教室」を始めたのを自分で見つけて、通いました。今思うと、よくそんなの行ってたなと思うんだけど、中学生で芸大祭とか連れてってもらって、美大生に面白がられましたね。「何やってもいいんだよ」という場を与えてくれました。
その3時間でもう「俺はこれでやろう」と思った。
――いよいよ高校生くらいになると、職業と結びついてくると思うんですけれども、広告表現、そっちに興味がわき始めたんですか。
【佐藤】高校2年生のときに、進路で、文系か理系か分かれる時が、人生の最大の決断だったんですけど、真剣に考えて「どっちも行きたいものがない」と思ったんですよ。ふと、「あ、美術系がある」と思ったんです。親に相談したら、だめって言わなかったですね。「いいじゃないの」っていう感じで。美術へ行くんだったら、美術の専門の予備校に行かないと受験ができない。それで、高2の冬に冬期講習会に行ったんですよ。親は、やってみてだめだったら普通の大学を受ければいいじゃないという感じだったんですよ。僕もそういうつもりで、わくわくしながら行ったら、その最初の3時間で、雷に打たれたぐらいに感激して、「もう一生これでやっていこう」と思った。高校生活の中でこんなに集中したことないっていうぐらい面白かったんですよ。3時間、硬い椅子に座って石膏像を描くんですけど、30分ぐらいに感じて、「これ、受験勉強なんだ」って思って、「最高じゃん」って思った。「これが勉強になるってことは、これが仕事になるってことだよな」と思って、「これはやれる」と思ったんですよ。そこで初めてプロとして意識したんですよ。すごい衝撃的でした。うん。
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