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著名人インタビュー この人に聞きたい!
大九明子さん[映画監督]
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●第2章 美術系の大学に憧れるも政治経済学部に進学。芝居と琉球民俗学に触れる。
「緩みきった顔」の人々に惹かれて入ったサークルも、人を楽しませる場所だった。
――高校時代について教えてください。
【大九】高校は、落研(落語研究会)に入ったんですね。
当時高校にD棟っていう平屋の木造の壊れそうな建物が残っていて、その向こう側に弓道部があったんですね。「弓道かっこいいからやってみたい」と思って見学に行ったんですけど、恐そうな先輩がいて、やっぱり武道の一つですから厳しいそうなんです。
「そりゃそうだよな~」と思って帰ろうとトボトボD棟の前を歩いたら、なんか緩みきった顔の人たちが、廊下でソフトテニスをして遊んでいるんです。「これだ!」と思って行ったら、それが落研だったんです(笑)
D棟の中には、鉄道研究会とか映研(映画研究会)とか将棋部とかあって、学園のメインストリーム(本流)じゃない人たちが集まっている匂いもなんかいいな~と思って、そのD棟に入り浸っていましたね。
落研では、みんなそんなに落語が好きって入ってきた人じゃなくて、わりと「(自由な)空気感が好き」とか「なんとなく居場所が欲しい」という緩みきった人が同期では多かったので、一生懸命落語の研究をするというよりは「もうすぐ文化祭だ。どうしようかな~」っていって「これでも覚えるか」みたいなそういう感じで・・・
私が、一番最初にやったのは「まんじゅうこわい」という演目です。
――(高校卒業後の)進路については、いつ頃から考えだしたんですか?
【大九】高校に入ってすぐに色んな塾の案内が来るんですね。で、将来どういう方向に進むんですか?みたいなこととか嫌でも突きつけられて「え?高校に入ったばっかりなのに」って思って、わかんないけどやっぱりモノを作ることが好きだから「芸術系のどこかに行きたいな」と思っていて、漠然と「美大(美術大学)に進もうかな~」と思っていたんです。
でも、だんだん美大に進むにはそのための専門学校(予備校)にいかなきゃいけないということがわかってくると「そこまでじゃないな~」と思い・・・そういう気持ちに揺れながら何の準備もしないで、ダラダラ遊んで3年間が終わったっていう感じでした。美大にはすごく憧れていましたね。だから美大卒のスタッフとかに会うとなんとなく憧れちゃいます、(今の自分の)部下でも。
大学で、小学校の頃に夢中だった「芝居」と再会する。
――その後、明治大学政治経済学部政治学科に進学した経緯について教えてください。
【大九】美大を諦めてダラダラ過ごしていたこともあり、(高校)現役の時には、自分が将来何になるとか、何がやりたいとか見失っている気持ちそのままに「心理学を勉強したい」と思い、心理学科がある大学だけを受けんですけど、全滅しました。一浪して、その後も心理学系の大学を受験しながら、さすがに二浪はできないと思い、 他の学部も受験して、受かったのが明治大学政治経済学部政治経済学科だったんです。
――どんな大学時代でしたか?
【大九】最初に数ヶ月間だけ、商業英語研究会(Business Englnish Society )っていうサークルに入りました。
それも建物に惹かれたんですよね。もう壊されてない建物ですけど、駿河台(東京都千代田区)のキャンパスの地下の一番奥の方にあって「なんかいいな~」と思って入ったんですけど、よく考えたら全く英語が得意じゃなかったんで、一応夏合宿まで・・・7月くらいまではいたんですけど、すぐ辞めちゃいまして・・・その後、しばらくして、2年生になってから芝居のサークルにはいったんです。 「明大実験劇場」っていうアングラ系の劇団でした。そこに入ったきっかけは演じたいんじゃなくて、公演のポスターを描きたかったんです。「実験劇場」自体も数ヶ月で辞めちゃってるんですけど、その間、2作品チラシを描かせてもらって・・・あれが、すごいカタルシスで楽しかったですね。学校中にそれを貼って、明大前キャンパスの校舎の色んな所にベタベタ貼って。なんか自分の絵が貼られているっていう喜びに浸っていました。演じることより、楽しかった。
――でも数ヶ月で辞めてしまったんですか?
【大九】飽き性なんですね。辞めて、その頃にお芝居を通して知り合った芝居仲間で、お笑い集団を作ろうってことになって、お笑いをはじめたんです。それは法政大学とか明治大学とか色んな大学の学生やフリーターの人とかもいて、色んな人が集まる演劇ユニットみたいな状態ではじめました。そこでは完全に演者でしたね。そのユニットの主宰者の方が、本も書くし演出もするという方だったので、完全に演者として、 “お笑い”を一生懸命やっていましたね。
そのユニットは、卒業後もしばらくやっていました。
――大学時代は、どんなことを学びましたか?
【大九】ゼミが、琉球民俗学のゼミだったんですけど、それが面白くて、ゼミだけは真面目にやっていましたね。
民俗学のゼミがなぜか政治学科の中にあって、フィールドワークで宮古島にいったりしたんですけど、私が最初にそのゼミに興味を持ったのは、ゼミの先生がやっていた授業が、精神世界の話をしていて、沖縄の精神世界では、女性の方が優位に立っていることが多いと。わりと大和側というか本土側では、神職に就くのは男性っていう考え方が普通ですけど、琉球文化の中では、神聖なところには男性が入れないっていう風になっていたり、不思議なねじれではないけど私があきらめていたこと・・・(自分が)「女」ってことを嫌ではなかったけど、多少「あれ?男の人だったら許されることが、(女性だと)許されないな」っていうことがわかってきたりとかする中で、あきらめていたことが「あれ?逆転している世界もあるってことは、諦めなくてもいいのかも・・・」みたいな風に思えた授業だったんで「あ、この先生のゼミに入りたい!」って思ったんです。研究のテーマも、宮古島に「おなり神信仰」っていうのがあって、漁に出た男の兄弟の無事を守るのが妹神で、女の兄弟が守るみたいな関係性があって、それを研究していたんですけど、一般の授業は何も覚えていないんですけど、ゼミでやったことは凄く楽しかったし、今でもなんとなく覚えていますね。
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