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著名人インタビュー この人に聞きたい!
大九明子さん[映画監督]



第5章 映画監督デビュー。「何かを作りたい」が仕事に。

大九監督が、作品と出会い、作る中で感じてきたこと。

――その後、どのように監督への道が開けるのですか?

大九明子、インタビューカット5-1

【大九】二年目の高等科のときに、シナリオコンペで、自分の作品が選ばれました。
「意外と死なない」という作品で、それを撮ったのが、映画監督としての劇場デビューになります。
女の人がリアルに描かれているコメディーをやりたいと思っていたんです。
友達としゃべっていて何気なく出てきた会話の中で「なんだかんだいって、意外と死なないもんだよね」みたいなことを友達が言ったのが、面白いなと思ってそのままタイトルにしたんですよね。

シナリオが選ばれた時に、すごい動揺しまして「絶対監督になるんだ」という気持ちで入ったわけではなかったので、「そこの空気に触れてみたい」っていう思いでフワって入っていたので、「私が映画を作るなんていう畏れ多いことをしていいのだろうか」だとか、すごく怖さが先だって、どうしようって思いました。でも「こんなチャンスは一生に一度あるかないかだから、『人生これが最後の映画だ』っていうつもりでやろう」と思い切りました。スタッフが学生ばっかりだったんで、週末ごとに集まって撮影して、学校を使わせてもらうシーンがいっぱいあったんで、そういう意味でも学校が休みの時に使わせてもらって、撮影日数合計で10日間くらいの感じで撮ったと思います。

――映画監督としてデビューしてみて、自分にあった仕事だと感じましたか?

【大九】ずーといまだに不安は不安ですけど、自分は「この職業に就くのだ」っていうのが明確にないまま、なんとなく「何かを作りたい、作りたい」というだけでウロウロしていた。それで、せっかく「よし!お笑いでやっていくぞ」って思ったのに、自分の中で次のネタが出てこない、書けないっていう行き詰まりの数年間の中で、やっとなんか次から次へとネタを出せるものを見つけたというか、映画だと複数人数を動かすことができるから、すごく筆が自由になって「こういうネタもやってみたい、あれもやってみたい」と撮りたい画がどんどん出てきたので、少しそこで安心して「作る道具は見つけた」というか、映画だったら独りコントの時と違って色々やれるっていう安心感は多少ありましたけど、だからといって未だに不安です。

――映画という「作る道具」を見つけたとき、子どもの頃に物語を書いていたことが繋がっていると感じましたか?

【大九】そうなんです。本当に振り返ってみて、「そういえば・・・」って感じます。バンバン壁にぶつかりながら、たまたま行った映画館で見つけたチラシがきっかけで、映画美学校に行って、たまたまこういう仕事をやるってことになったと自分では思っているんですけど、振り返ると、そもそもそういうこと(何かを作り表現すること)ばっかりしてきた人間だったんだなっていうようなことに気づかされます。やっと元に戻ったというか、やっとそういうところに落ち着いたのかもしれないと思います。

――映画監督の仕事は、見つけるものですか?または生んでいくのですか?

【大九】生みたいんですけど、生みたくて自分発信の企画をオリジナルでいっぱい作って書いたりしても、なかなか着地しないですよね。色んなプロデューサーさんが声をかけてくれて、こういう作品一緒にやりませんか、みたいなことで、着地することがわりと多くて、だからオリジナルでやりたいなということは、色々あるんですけど、なかなかオリジナルは未だ着地できてないんです。

「続けています。まだ現役です」と発信しつづける。

――企画があって、プロデューサーから監督を指名されて仕事になることが多いんですか?

大九明子、映画『放課後ロスト』撮影現場にて<大九明子、映画『放課後ロスト』撮影現場にて>

【大九】そうです。今は助監督からちゃんと勉強してきて監督になるっていう人が少なくて、私みたいな自主映画作家が、プロデューサーの目に留まり「コイツに撮らせてみよう」ということで、商業映画デビューするっていうことがすごく増えていると思います。たまたまなんですよね、私も。
「恋するマドリ」っていうのが商業映画一本目なんですけれど、その作品の女性プロデューサーが、デビュー作の「意外と死なない」をすごく気に入ってくれていて、それから5年以上経っていたのに、「久しぶり」と言って突然連絡してきて「ちょっとこういう企画があるんだけどどう?」って・・・なんか夢のように思いましたけどね。
「こんなことってあるの?」って。だからやっぱり「モノを作り続けるってことは大事だな」ってその時に思いましたよね。「意外と死なない」以降も友達と集まって一応自主映画は撮ったりしていたんですね。
「続けています」って世の中に発信すること、「まだ現役です」って発信しつづけることで、誰かが見ててくれるんだっていう・・・なんかすごく嬉しかったです。

「スクリーンの前でお客さんに観てもらうことが到達点」そのためには人間臭いコミュニケーションも大事。

――商業映画の監督をしてみて、自主映画との違いはありましたか?

大九監督が撮影で使う台本用バッグとヘッドフォン<大九監督が撮影で使う台本用バッグとヘッドフォン>

【大九】同じですね。ただプロの皆さんがやることなので、仕組みとしては全く同じなんですけど、人間関係っていう部分は大きく変わってきますね。自主映画を撮っている時は、私、画コンテを全部描いていたんですね。
そして、カメラマンに「こういう画を撮りたい」って伝える感じで話してたんですけど、プロと仕事をするようになって変わりました。諸先輩から「あんまり画コンテ描くと損だよ。決まった画になっちゃうから」みたいな話を聴いていたんです。まず台本を読んでもらってそれを自由にカメラマンに発想してもらう方が、相乗効果で面白いものになると。ただ、面白いものになるにはやっぱりちゃんとコミュニケーションしないといけないんです。

以前、山崎裕(ゆたか)さんという大ベテランの撮影監督と組ませていただくことになった時は、「こういう画を撮りたい」と伝えるだけで精一杯でした。スクリーンでお客さんに観てもらうということが(映画製作の)到達点ですが、そこのためには、その前に人間くさいコミュニケーションを経ていかないと到達できない。
どんなに「嫌だな~」と思っても、すごい言いにくいことも(カメラマンに)言わなきゃいけないこともあります。

「それは嫌です」「そんな画は欲しくありません」って言わなきゃいけない。凄い辛かったですね。「バカヤロー」とか言われて。
あたしもちょっと生意気な言い回しで「そっちこそ」みたいなことを言ってしまった時に、男性プロデュサーと女性プロデュサーが走って来て、二つに分けられて、「ここで一旦お昼入れましょう」と間に入ってもらうことに・・・。
「あー、やっぱりちゃんと言葉って選ばないといけないんだよなー」と思いました。
でもブレイクして戻ってくると山崎さんも素晴らしい方なんで、さっきまでの雰囲気はもう忘れて、朗らかに接してくださって、私も素晴らしい大先輩の才能に応えなきゃいけないなーと、学ばされました。