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著名人インタビュー この人に聞きたい!
柿沢安耶さん[野菜パティシエ]

写真:柿沢安耶さん

学習院大学在学中より料理研究家のもとでフレンチを学ぶ。おいしいだけでなく、食べた人が健康になれる料理やスイーツを提供するお店を志し、2003年、オーガニックベジカフェ・イヌイ(栃木県)を開店。2006年、世界初の野菜スイーツ専門店パティスリー ポタジエ(東京)を開店。スイーツ界に新しいムーブメントを起こしたパティシエとして注目される。食育や農業への関心も高く、小学校での食育セミナー、生産地での野菜作り体験ツアー、料理教室講師などを行い、精力的に活動している。著書に、『からだが喜ぶ やさしい野菜図鑑』『パティスリー ポタジエのナチュラル野菜スイーツ』などがある。


幼い頃に読んだ絵本の豚が大好きで、子どもの頃は、豚を飼って暮らすのが夢だったという柿沢安耶さん。その豚を発端に、野菜パティシエというお仕事にたどり着きました。豚と野菜パティシエ? まったく関連がなさそうですが、豚、トリュフ、フランス料理・・・と連想ゲームのように「好き」の周辺に興味を持ち、探求し、体験することを続けた先にあったのが野菜パティシエのお仕事でした。それは、あきらめないで自分の想いに正直になれば、あるとき夢の扉が開くという、まさに「好き」を仕事にするお手本と言っても過言ではありません。

取材・文 野口啓一



第1章 豚と一緒に暮らすことが夢だった。それが、仕事探しの原点。

幼い頃に読んだ、絵本の豚に恋をして。

――子どもの頃から活発だったのですか?

インタビュー写真:柿沢安耶

【柿沢】小学生の頃は、ぜん息でよく学校を休んでいました。二週間休んで久しぶりに学校に行くと、授業が分からないんです。だから、成績はそんなに良くありませんでしたが、勉強は好きでしたね。

中学生になると学校を休むこともなくなり、普通に学校に行って勉強できるのが嬉しかったですね。特にテストが好きでした。最初のテストでいい点を取り、やれば成果が出ることが分かったからです。また、私には一歳年上の兄がいるのですが、その兄の成績がよかったんです。年が近かったせいか、兄には絶対負けたくない!と対抗心を燃やし、歩きながら教科書を読んでいましたね(笑)。でも、当時は引っ込み思案で、授業では先生に当てられないよう、なるべく目立たないようにしていました。

中学生になって、小学生のときは身体が弱くてあまり運動ができなかったのでスポーツに興味があり、軟式テニス部に入りました。体力がなかったのでランニングが苦手でしたが、コツコツ練習することの大切さや、自分を超えるには苦しいときこそ頑張らなければいけないということは、テニスで学びましたね。

そんな小中時代でしたが、将来なりたいと思い描く職業は、まだありませんでした。ただ、幼い頃に『どろんここぶた』という絵本を読んで豚が大好きになり、将来は豚を飼って暮らすのが夢でした。そのため、畜産系の高校に進もうと思ったのですが、親から「畜産は食べる動物について学ぶもの」と聞かされ、結局普通科へ進学しました。

――それで、豚と暮らすのは諦めたのですか?

高校時代、教室にて。

【柿沢】高校生になっても、豚を飼って暮らす夢は膨らむ一方でした。当時、(東京都世田谷区)砧(きぬた)に豚舎があったのですが、動物園に豚はいないからそこに見に行っていたほどです。

そんなある日、フランスでは豚がトリュフを掘っているということを知ったんです。「ということは、トリュフを採る仕事に就けば豚と暮らせるかもしれない」と思い、どうやったらなれるのか調べたんです。もともと、「フランスといえばパリ」というくらいのイメージしかなかったのですが、ブルゴーニュ地方やプロヴァンス地方などさまざまな地域があり、それぞれの食文化があることを知りました。また、トリュフについて調べると、当然フランス料理に突き当たります。それで、「フランス料理って美味しそう」「世界三大珍味って何だろう?」「フランスって素敵」というように、どんどんフランスに興味が湧き、「フランスに住んで、フランス料理のシェフになりたい」と思うようになりました。

――お母さんが料理好きで、その影響があったということはありますか?

【柿沢】母は、美味しい料理をたくさん作ってくれましたが、料理を作るのはそれほど好きではなかったようです。母も仕事をしていたので、多分ササッと作りたかったんでしょうね。また、台所がそんなに広くなかったので、手伝われると逆に邪魔で、手伝わせてくれませんでしたね。よく、料理が好きな子が、小さい頃からお母さんとケーキ作りをしていたといった話を聞きますが、私が初めてケーキを作ったのは大学に入ってからなんです。それくらい、家では料理の世界には触れていませんでした。

――ところで、高校でもテニスは続けられたのですか?

【柿沢】高校ではどの部にも所属せず、サッカーに夢中になっていました。母がサッカーをやっていた影響で、私もやりたかったのですが身体が弱かったためできなくて、専ら応援する側に回っていました。また、高校のときちょうどJリーグが発足したんです。ですから、Jリーグの観戦にもよく行っていましたね。アルバイトも、国立競技場や駒沢競技場でチケットやパンフレットを売る仕事を見つけてくるくらい、サッカーが大好きでしたね。

フランスのことを広く知るためには語学が必要と考え、大学の仏文科へ進学。

――フランス料理に興味を持ちながらも、大学の仏文学科に進学した理由は?

【柿沢】まずはフランスという国を広く知りたいと思ったのが、大きな理由ですね。一方、飲食業は長時間立ちっぱなしだし、重いものを運ぶこともあるので体力が必要です。それを考えると、料理人を目指した場合、体力に自信のない私が本当にやっていけるのかという不安がありました。そのため、料理に関わるにしても、シェフという道もあれば、料理研究家という道もあり、あるいは料理のジャーナリストという道もあるので、シェフにこだわらず多角的に自分にできそうな仕事を考えようと思ったのも、仏文科を選択した理由の一つです。ただ、将来は料理のレシピ本を出したいなとか、そういうことは考えていましたね。

あと、フランスが好きで、サッカーが好きでしたから、高3のときに、私が大学を卒業する1998年にフランスでワールドカップが開催されることを知って、「フランス語ができたらそれに関わる仕事ができるかな」と考えたこともあります。

――料理の勉強は、どのようにしたのですか?

インタビュー写真:柿沢安耶

【柿沢】フランス料理に興味があったので勉強したいと思いましたが、大学に通いながら料理の勉強ってなかなかできないんですよね。夜、学校に通うにしてもお金がないし、飲食店でアルバイトして現場で学ぼうと思っても、経験がないと厨房で作る仕事はやらせてもらえません。そのため、いろんな人に「料理の勉強がしたい」と相談していたんです。そうしたら、おばと通っていたフランス語教室の先生が、フランス料理研究家・内坂芳美さんとお知り合いだったんです。それで、お願いしてご紹介いただき、フランス料理を教えていただくようになったのです。今振り返ると、口に出すのはとても大事だと思います。そうすることで周りが応援してくれて、一人ではできないことでも、できるようになるのです。

それまでは本で読む程度でしたが、フランス料理を習いはじめて実際に自分で作るようになると、ますます興味を持つようになりました。そうして、将来は料理を作ることを仕事にすることを決意したんです。やるとなると突っ走るのが私の性格で(笑)、フランスにも料理留学しようと思い、その費用を貯めるために和食店でアルバイトを始めました。さらに、2年生になってからはフランス料理店でもアルバイトを始めました。本当は厨房で料理をしたかったのですが、面接に行くと必ず「君は接客向き」と言われ、結局どのお店でも接客しかやらせてもらえませんでした。

――中高生の頃は内向的な性格でしたが、すぐに慣れましたか?

【柿沢】はじめは、接客も体力的にも全然ダメでした。5、6時間も立っていると足が痛くなるし、ニコニコしていないといけないし。人に食べ物出すのって、大変な仕事だと思いましたね。でも、やっていくうちに体力がついてきて、長時間働けるようになっていくのが分かるんです。まず、それが嬉しかったですね。もちろん、お金を稼げるのも嬉しかったです。そして何よりも、人と接するのが楽しいということを発見しちゃったんですよね。接客は、ある意味演じなきゃいけないのですが、それが板についてくるにつれて、お客様が喜んでくださるのが嬉しくて。あれほど人と接するのが苦手だったのに、逆に楽しくなったんです。

また、飲食店には体育会系的なノリがあって、やっていくうちに仲間ができて団結力が生まれ、売り上げ目標を達成するとその喜びをみんなで分かち合うんです。その雰囲気も好きでしたね。

そうやって、次から次に新たな自分に出会うことができたのは大きな収穫だったし、このとき接客を経験できたことは、自分でお店をやる上で大きな財産になっています。

動物をさばくのに慣れず、フランス料理からケーキの道へ方向転換。

――留学はいつ行かれたのですか?

大学3年のときフランスへ留学。リッツエスコフィエでフランス料理を学ぶ。

【柿沢】留学は、大学1年と3年の冬休みに、それぞれ1ヵ月~1ヵ月半くらい行きました。

1年のときは、フランス語の先生のお友達のお宅に、家庭料理を教わりに行きました。フランス料理というときらびやかなイメージがありますが、普通の家庭ではどんな料理が食べられているのか興味があったからです。

大学生の頃、ケーキ屋のバイト先にて。

3年のときは、料理研究家の先生の紹介で、ホテルリッツが経営する料理学校リッツエスコフィエで学びました。とても勉強になりましたが、元来肉や魚が好きではなかった上に動物好きだったため、鳥やウサギの毛をむしって内臓を取り出す作業にどうしても慣れることができませんでした。帰国して、改めてそれをやらなくて済む方法はないか考えて、思い至ったのがケーキだったんです。料理を習う中でケーキづくりも習っていたので、ケーキならできるのではないかと。

それが大学3年生の終わりで、そこから今度はケーキ店でもアルバイトを始めました。和食店、フランス料理店でのアルバイトも継続していたので、3つを掛け持ちで。そのときも、やはり接客でした。