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著名人インタビュー この人に聞きたい!
渡邊雄一郎さん[シェフ/ジョエル・ロブション エグゼクティブ]

写真:渡邊雄一郎さん

辻調理師専門学校・同校フランス校卒業後、1991年よりフランスの1ツ星レストランや、ポールボキューズトーキョーの部門シェフを経験。 1994年 タイユバン・ロブション開業時に部門シェフとして厨房に入り、1998年よりタイユバン・ロブション カフェフランセ シェフ、2004年より現職。

ARROW 渡邊雄一郎氏の仕事白書


第1弾では、渡邊さんがフランス料理のシェフになられたいきさつや、レストランの舞台裏について、魅力的なお話を伺いました。第2弾では、渡邊シェフの料理人としての喜び、プロの目から見た「食育」についてのお話と、あわせて料理業界を仕事に選ぶ人へ、直球勝負のメッセージをいただきました。



第4章 料理人として成長する喜び

仕事の醍醐味は、平凡ですが、お客様が喜ぶことです。

【渡邊】やはり私たちはお客様あっての商売なんですよね。お金の話はしたくないですけれども、お客様がいなければ儲けもないですし、いかにテクニックを持っていて美味しいものを作れても、提供するお客様がいなかったら何もないです。この仕事の醍醐味は、非常に平凡なんですが、お客様が喜ぶことです。

修業時代はつらいことも多々ありました。些細なことで毎日怒られる。寝言で「ウィ、シェフ」と返事をしていたらしいです。でも、それはみんな通ってくる道ですし、プロとしては人間的に未熟だったと思います。

また、私たちのレストランを監修するジョエル・ロブションは、既にフランスの料理年表に載っている、まさに歴史に残るシェフです。そういう偉大なシェフと同じ調理場に立てることは、ほんとうに私の喜びです。ものすごく厳しいだけに、私が創作した料理を食べて喜んでいただいたことが自信にもつながりますし、勲章みたいなものです。だから、彼をうならせた料理は、全部僕、詳細に覚えているんですよ。もちろん叱られた数も、何を怒られたかも、いまだに覚えています。

自分で引き受けたことですし、難題も上手にさばいてしまえば気持ちのいいことです。

【渡邊】ロブション氏の来日に合わせて、年2~3回「ガラディナー」と呼ばれる一大イベントがあり、そのときのレストランは違ったモードに入ります。ロブション氏が自ら厨房に立ち腕を振るうわけですから、お客様は毎回高い期待を寄せてくださいます。その忙しさとプレッシャーは並大抵ではありませんが、いい状態で楽しく仕事できるには、僕が滅入っていてはしようがない。わかっていて引き受けたポジションですし、難題も上手にさばいてしまえば気持ちのいいことですね。共感できる喜びもある。だから、とにかく楽しもうと思って僕は仕事に取り組んでいます。

目標を持っていたから、特につらいと思ったことはありませんでした。

渡邊雄一郎/シェフ

【渡邊】僕は修業時代に目標を持っていたんです。30歳までにシェフになること。もう一つは、辻調理師専門学校の教壇に帰ってくること。授業に来るグランシェフの方々を見て、「絶対にこの教壇に帰ってくるぞ」と自分を煽(あお)っていた部分がありますね。実は2つとも叶っているんです。31歳になる1週間前にシェフになれたので、ぎりぎりセーフでした。学校にも2000年から教壇に立てたので、恩返しができました。そんな目標を持っていたので、特につらく思ったことはないです。

お金を追って動いた記憶は全くないんですよ。プロとしてお金の額を見るのは大事ですが、僕は30歳までは目先のチャラチャラしたことに惑わされず、地道にがむしゃらにやりましたし、20~30歳の10年間に何回でも恥をかけと指導しています。わからないことはすべて聞いて、失敗はどんどんしていい。でも30歳を越えたら誰も教えてくれませんし、評価は下がる一方じゃないですか。「プロとして10年、何やっていたんだ」と思われてしまいます。人間関係を築くのも、料理人としての技術を向上させるのもそうです。若いスタッフには30歳までと口癖のように言います。その後も、もちろん一生勉強ですけれどもね。