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著名人インタビュー この人に聞きたい!
漆紫穂子さん[校長]



第5章 大学合格という目先のことだけでなく、自立した女性の教育に主眼を置く「28プロジェクト」を推進。

――授業を担当しながら、並行して改革を推し進めるのは大変だったのでは?また、改革のアイデアは、どのようにして練るのですか?

品川女子学院に着任して間もない頃。<品川女子学院に着任して間もない頃。>

【漆】授業や会議で週に20数時間、ほとんど空く時間はありませんでした。私は非力でしたが、みんなが「何とかしなくてはいけない」という気持ちで一丸となって取り組みましたので、やり遂げることができたのです。

私は若かったので、生徒も保護者も、そして若い教師も話しやすかったのだと思います。生徒たちはこんなことで困っている、先生たちはこんなことで悩んでいるというように、学内のさまざまな情報が自然に集まってきましたね。さらに、同じような状況から立て直しに成功した学校の校長先生のところへ話しを伺いに行ったり、塾の先生を訪ね回って外部の人の意見を聞いたり、できることは片っ端からやりました。その中で、最も私の心の支えとなったのが、世田谷学園の山本慧橿(えきょう)校長(当時)からのアドバイスでした。この学校は、当校と同じような状況から見事改革に成功したことで有名で、何度もお話を伺いに行きました。その山本校長から、周りから手遅れと言われて私が落ち込んでいたときに、「あなたの気持ちがあきらめなければ、大丈夫。今やれることあるしょう?」と言われました。それで、「たくさんあります」と答えると、「目の前のできることから1個ずつずっとやりなさい。やり続けている間は、絶対につぶれないから」と。このときいただいた言葉が大きな励みとなり、「やっている間は大丈夫。自転車をこいでいる間は倒れないから」と、つねに自分に言い聞かせては鼓舞し、立ちどまらずに、ひたすらやり続けることができました。

――着任からわずか7年で志望者が6倍になりました。具体的には、どういうことをおやりになったのですか?

【漆】当時、当校は高校が主体の学校で、高校約10クラスに対して、中学は1クラスしかありませんでした。そのため、中高一貫教育の良さが生きるよう、中等部を拡大することにしました。さらに、カリキュラムは大学進学をサポートできるものへと変更しました。当時、当校は高校を卒業したら社会の即戦力として働けるよう、躾に軸足を置いていて、卒業生の90%が銀行やデパートなどに就職していました。それを、女性も大学に進学するという時代の流れに対応させたのです。

そして、学校生活の一つ一つを生徒の目線で見直しました。授業のアンケートを採って教員にフィードバックしたり、シラバスを生徒に配布したり。生徒の一日を考え、制服やトイレも生徒にとって心地よいものになるようにしました。

また、広報活動にも力を入れるようにしました。それまでなかった広報部をつくり、外部に対して学校の魅力をうまく伝えられるようにしました。学校ではどこもやっていないことも沢山やりましたし、報道機関にニュースとして扱ってもらえるようパブリシティも積極的にやりました。その結果、改革に着手した翌年から受験者数が倍増し、偏差値も上がるなど、成果が具体的な数字となって現れました。

知識ゼロからのスタートでしたが、人間ってとことん困って、とことんやらなきゃと思うと知恵がわいてくるものだなぁと感じました。あと、公共性のある正しいことをやっていれば、いろんな人が力を貸してくれるということも実感しました。やる前に諦めなくてよかったと、心の底から思いました。できない理由は、数え切れないほどあったのですが、やると決めてやっているうちに、少しずつ歯車が回り出したのです。

――品川女子学院の取り組みの一つに「28プロジェクト」があります。それは、改革の中で生まれたのですか。

インタビュー写真:漆紫穂子

【漆】そうですね。ちなみに、「28プロジェクト」とは、28歳になるまでに自立した女性を育てようという当校の教育目標です。当校の建学の精神に、「子どもたちが大人になったとき、仕事を持ち、社会に貢献して欲しい」という考えがあります。そこに立ち戻ったとき、さまざまな体験をさせて、見聞を広めてあげたいと思ったのです。

そこで、日本の伝統芸能を鑑賞に行ったり、社会人に話しをしてもらったりなど、さまざまな体験をさせたのです。はじめは希望者で実施するものが多かったのですが、参加した生徒達は今の勉強と未来が、今の自分と将来の自分がつながってスイッチが入り、生き生きとしてきたんですね。それが、徐々に学校中に広がっていきました。

女性には出産の機会があり、その年齢には制限があります。日本では、法的に整備されたとはいえ、育児休暇後にそれまでと同じ環境に復帰するのは難しいのが現状です。ではどうすればいいか?長く仕事を続ける助けとなるのが、専門性や資格だと思います。専門性や資格を身に付けるためには、大学院へ進んだり、資格取得試験を受験したりする必要があります。そうして学んだことを生かして仕事ができるようになるのが、28歳ごろです。また、子どもがこの年になる頃、親は第一線から退く年齢に差し掛かっています。それは親からの援助が期待できないことを意味し、その面からも自立しなければなりません。

大学合格だけを目標にすると、私は数学が嫌いだから文系というように消去法になりがちです。一方、28歳になったとき自分がどのような職種に就いていたいか考え、その未来から逆算すると、今何をすべきかが見えてきます。そのための情報を与えるのが、このプロジェクトの大きな目的なのです。

――企業コラボも、その中の一つですか?

卒業式の日、生徒たちと一緒に。<br>社会に貢献する自立した女性が、ここから巣立って行く。<卒業式の日、生徒たちと一緒に。
社会に貢献する自立した女性が、ここから巣立って行く。>

【漆】そうですね。いろんな社会人の話を聞く講座をやっていく中で、企業さんとの共同企画に発展したのです。これは現在、中学3年全員を対象に、総合的な学習の時間に「企業とのコラボレーション授業」として実施しています。また、希望者のみが参加する特別講座もあり、その中で「企業とのコラボレーション」を行なうこともあります。

「28プロジェクト<br>品川女子学院×株式会社ポッカコーポレーション」。<br>企業と女子高生のコラボから生まれた「桃恋茶」。<「28プロジェクト
品川女子学院×株式会社ポッカコーポレーション」。
企業と女子高生のコラボから生まれた「桃恋茶」。>

その大きなきっかけとなったことが、2つあります。1つは、株式会社ポッカコーポレーションさんとの出会いです。たまたま、当時の社長さんと知り合い、女性社員から生徒に話しをしていただけませんかとお願いしたのです。そうして、お話していただくことになったのですが、その学習過程で、飲み物を1つ企画してみることになったのです。そうしたら、思ったよりもいいアイデアが出て、話しが膨らみ、役員の方の前でプレゼンテーションさせていただけることになったのです。

あとで聞くと、「社員が企画したら絶対に通らないアイデアだったけれど、高校生が言うんだからやってみよう」と話が通ってしまったそうです。その商品は、「桃恋茶」というのですが、販売が始まった週の売上が、松嶋奈々子さんがCMをやっていた「生茶」を抜いたそうです。

「28プロジェクト 品川女子学院×株式会社サンリオ」。<br>カンボジアに学校を建てる原動力となった「品女キティちゃん」。<「28プロジェクト 品川女子学院×株式会社サンリオ」。
カンボジアに学校を建てる原動力となった「品女キティちゃん」。>

もう1つは、株式会社サンリオさんとの共同企画でした。オリジナルで「品女キティちゃん」を作り、文化祭で販売することになりました。その際、売上をどうするかということになったのですが、ちょうど社会科で内戦地域の勉強をしていたことから、教育がいきわたらないと戦争を繰り返す原因になるからと、カンボジアの学校建設に寄付することにしたのです。そうして、3年がかりで目標の400万円を貯めて、子どもたちは、その想いを実現したのです。その後、そんな子どもたちの心意気に協力しようと、私の本の印税もそうですが、いろいろな方たちが印税などを寄付してくれていて維持費が出ています。

この2つがきっかけで、企業のお力を借りると、実社会の企画やプレゼンなどが体験でき、子どもたちの視野がグンと広がることが分かりました。また、大人と仕事をすると、ロールモデル(生き方や行動のお手本となる存在)に出会うことができるという発見もありました。

「28プロジェクト<br>品川女子学院×Yahoo!オークション」<「28プロジェクト
品川女子学院×Yahoo!オークション」>

学校では10科目程度で子どもが評価されますが、実社会にはもっと多くの評価軸があります。学校では叱られるようなことでも、職種によっては才能として認められることもあります。自分にそんな取り柄があると気付くと、子どもは俄然やる気を出します。「大人の仕事」を体験することで、子どもたちがそれに気づいたのが、企業とのコラボレーションでの最大の収穫でした。