著名人インタビュー この人に聞きたい!
漆紫穂子さん[校長]
[INDEX]
- 第1章 女子教育に命をささげてきた家庭に生まれ、教育者としての薫陶を受ける。
- 第2章 人間関係に悩んだ小学時代。教師になる想いがますます強くなった中学時代。
- 第3章 高校時代は、あらゆる角度から自分がどの科目が向いているか検証。「好き」と「得意」が一致した国語教師を選択。
- 第4章 一教師としてのびのびと仕事がしたくて他校へ就職。水の合う校風と生徒に囲まれ、充実した3年間を過ごす。
- 第5章 大学合格という目先のことだけでなく、自立した女性の教育に主眼を置く「28プロジェクト」を推進。
- 第6章 早くから将来にアンテナを立てていれば、「好き」と「仕事」が近づく。
- 第7章 親の価値観を押しつけるのではなく、子どもの「好き」を大切にする。
●第2章 人間関係に悩んだ小学時代。教師になる想いがますます強くなった中学時代。
――小中学生の頃は、どんなお子さんでしたか?
【漆】家の中で、本を読むのはいいことだという文化がありまして、小さい頃から本が好きでした。それが自分の知識やものの考え方のベースになっていたので、小中学生の頃は、勉強に関してはあまり不自由しませんでした。
ただ、小学生の時は、学校に行くのが楽しくありませんでした。というのも、5、6年生の時、学級委員をやったのですが、先生とクラスメイトとの板挟みになってしまって。どういうことかというと、先生が、「悪いことをしたら報告しなさい。」と私にクラスメイトの監視役をさせたのです。今思えば、その先生も戦前戦後を生き抜く中で、自分のやり方を変えられなかったのだと思いますが、子どもですから、そのような背景を察する知識もありません。また、私の家は教員の家でしたから、先生の大変さも分かっていましたし、親は教員の悪口を子どもの前では絶対言いませんでしたから、(先生の言うことは正しいから)言われた通りにしなければいけないと、真正面から受け止めてしまったのです。それで、何か問題が起こると、先生からは「連帯責任です」と、私の責任にされ、ちょっとしたミスをしようものなら、クラスメイトからここぞとばかりに責め立てられたり、男子からいじめられたりしたのです。それがとても辛くて、本気で死にたいと思ったこともあるほどです。だけど今思えば、私もよくなかったと思うんです。同じ子どもなのに、「静かにしないと先生に報告しますよ」とか上から目線で言っちゃって。言われた側からすると、それは気分良くないですよね。みんな全然悪くないと思います。そんなこともありましたね。
地元の中学校に進むのは恐怖でしたが、塾に行かせてもらえなくてそのままに進学することになりました。入学してみると、地域の小学校が5校くらい集約された大きな学校だったので、小学校のときの人間関係も薄くなり、いじめられることもなくなりました。だから、学校も授業も楽しかったですね。中学3年まで水泳を習っていたので、部活には所属しませんでした。下町っ子でしたから、中学生までは帰宅したら友達と公園へ行き、馬飛びなんかやっていましたね(笑)。
――習い事は、何かおやりになっていましたか?
【漆】私の家は、音楽とスポーツは必ず習わせる方針で、小さい頃から音楽はピアノやマリンバを、スポーツは体操や水泳を習っていました。特に、水泳は長くやりましたね。私は、両親から勉強しなさいと言われたことは一度もないのですが、「早く寝る」「食べ物の好き嫌いをしない」の二つはよく言われていました。多分、何をするにも身体が大切と考えていたのだと思います。音楽は、情緒面を磨くためでしょうね。
――本が好きで、音楽をやって、スポーツもやる中で、将来こんな仕事をやりたいと思ったことは?
【漆】私は物心ついたときはすでに先生なると思っていました。4歳のときのことでした。私は保育園に通っていたのですが、肉が嫌いで、昼食の時わざと肉を床に落としたんですね。それを先生に見つかって叱られたのですが、次は見つからないよう、床に落とした肉を足で離れたところ押しやったんです。ところが、その肉を見つけた先生は隣の子が落としたと勘違いし、その子を叱ったのです。その子が泣いて自分でないと言ったので、あわてて自分がやったと言ったら、先生から「人のせいにするなんて」とさんざんに叱られ、親も呼び出されました。私はその年齢では、「人のせいにする」という知恵はまだついていなかったのですが、それを説明することもできませんでした。このとき私は、「私が先生になったら、理由を聞いてから叱ろう」と思ったことを覚えています。
それからも習い事でいうと、ピアニストではなく音楽教師、水泳選手ではなく体育教師というように、つねに教師になることを前提に将来を見ていましたね。
――具体的に、「どの科目の先生になろうか」と考えたことはありますか?
【漆】中学生になってから、教師になりたいという想いはますます強くなりました。それで、「自分が得意な教科だと、分からない子の気持ちを理解できないのではないか?」「苦手すぎる教科だと、教えられないのではないか?」などと、自分がどの教科の教師に向いているのかつねに検証していましたね。
ちなみに、国語は、もともと読書好きで得意だった上に、先生が自由な発想を大事にする人だったことで、いろんな人がいろんな意見を言う楽しさを知り、ますます好きになりました。英語は、国際化の時代を前に、憧れがありましたね。小さい頃から水泳やピアノを習っていたので、体育も音楽も好きでしたし、祖父が糖尿病で親が栄養のことをつねに気にかけていた影響もあり、家庭科にも興味がありました。さらに、理科の先生がとても興味関心を引く実験を沢山してくれる先生だったので、理科も好きでした。いろいろな教科に関して、「どれがいいかな?」と考えていましたね。
――高校進学に関しては、どのような選択をされましたか?
【漆】私は小さい頃から親が誇りをもって働いている品川女子が大好きだったので、中学校に入学する時、当校に行きたいと親に頼みました。すると、「あなたがいると仕事の気が散るから」と断られたのです。それで、地元の区立中学に通いました。区立中学からは都立高校を受験する人が多かったので私もそうしました。
そして、都立日比谷高校に入学しましたが、本当は、三田高校で水泳をやりたいと思っていました。なぜかというと、私が通っていたスイミングクラブは、三田高校の水泳部が発祥だったからです。家から近く、元女子校で落ち着いていたということもありました。当時は学校群制度があったので、自分で学校を選択することができず、その時は理不尽さを感じましたね。でも、進学したら自由な校風が自分にあっていて、今は母校として大切に思っています。
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