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著名人インタビュー この人に聞きたい!
柿沢安耶さん[野菜パティシエ]
[INDEX]
- 第1章 豚と一緒に暮らすことが夢だった。それが、仕事探しの原点。
- 第2章 食べて健康になる食事法と出会い、「これだ!」と直感。
- 第3章 野菜スイーツの魅力を生かしながら、多くの人に食の大切さを伝えていきたい。
- 第4章 製菓業界ハローワークマップ ポタジエ編
●第2章 食べて健康になる食事法と出会い、「これだ!」と直感。
ケーキ店、カフェ・レストランで不完全燃焼の日々を送っていたある日、マクロビオティックに出会う。
――就職は、飲食関係に進まれたのですか?
【柿沢】アルバイトしていたケーキ店とは別のケーキ店に就職しました。でも、半年で辞めたんです。フランス料理からケーキに切り替えたのは、動物のこともありますが、身体に合わなかったこともあります。そのため、自分の身体に合い、食べて健康になる料理を作りたいと思っていました。ところが、洋菓子には添加物が多く使われていて、着色もするし、砂糖も脂肪分も多いし、見た目の美しさのために犠牲にしているものがたくさんあり、健康と結びつかないことが分かったのです。学生時代、ケーキ店でアルバイトしていたときは、表面的な部分しか関わっていなかったので分かりませんでしたが、いざ働いてみると、自分の想いとのギャップを感じるようになったのが大きな理由ですね。
その後、カフェ・レストランを経営している会社で働き始めました。当時、若い女性が自分でカフェを経営するカフェブームだったんですが、それを目の当たりにして、料理をやりたい想いが再燃したのです。ゆくゆくは自分でカフェをやりたいと思い、その勉強も兼ねての転職でした。この会社では、青山のカフェの立ち上げに携わり、メニューの考案から食材の仕入れ、アルバイトの採用・管理まで任されました。厨房で料理やスイーツを作る仕事もやらせてもらいましたが、作ることに集中するというわけにはいきませんでした。そのため、思う存分作りたいという想いをぶつけるかのように、夜帰宅して、自宅で料理の腕を磨いていました。そんな中、ベジタリアンやマクロビオティックという食事法に出会ったのです。
――それが、柿沢さんが追い求めていたものだったんですね?
【柿沢】
マクロビオティックは、「身土不二(しんどふじ)」といって、「地元で栽培、収穫された旬のものを食べることが、身体にもっともよい」という考え方をベースとしていて、そこには「食事で健康になる」「食事で病気を治す」「肉や魚を使わない」という、私が求めていたものがすべてありました。元来、日本人は農耕民族で、米や雑穀を中心に野菜豆類を食べ、肉や魚は貴重品で滅多に食べませんでした。それが、戦後西洋料理が入って来て食生活がガラリと変わり、日常的に肉や魚を食べるようになりました。その結果、今になってさまざまな健康の害が出てきています。そこで、もう一度、昔の日本の食事をしましょうということなのですが、この考え方に私は共感するとともに、「これだ!」と直感したのです。
――マクロビオティックに出会って、柿沢さん自身はどう変わったのですか?
【柿沢】理想の料理に出会ったことで、料理の現場に立ちたいという想いはますます強くなり、ついに自分でお店を立ち上げる決意をしました。会社を辞めてマクロビオティックの学校に通い、自分でも実践しました。するとどうなったかというと、私はやせ形だったのですが、肉魚砂糖乳製品を食べないにも関わらず太ったんです。普通だとやせそうな気がしますが、実践することによって身体が元気になったんです。それにまずびっくりして、これは正しいと確信しました。
ただ、マクロビオティックは制約が多く、友達と会って外食しようとすると、肉魚砂糖乳製品が入っていないか気にしなければならいとか、お菓子を食べたいのに食べられないとか、それに疲れてしまうんですね。結果、せっかくそれまでやってきたのにパタッとやめて、肉食に戻る人もいます。
私が、フランス料理を学んでよかったと感じることは、食を楽しむという姿勢でした。「食こそ人生」「食はアート」という考えには私も賛成で、食事はやっぱり楽しくないといけないと思ったんです。それで、やめるくらいなら制約を緩くして長く続けた方が絶対身体にいいと思ったのです。こうして、自分のお店では肉魚は使わないけど、卵や乳製品は場合によっては使うベジタリアンレストランにすることにしました。
料理次第で健康になれる。それを体感して欲しかったし、多くの人に伝えたかった。
――自分でお店をやると、それまでは比べものにならないくらい大きな負担がかかります。それでもやろうと思ったのは、どうしてですか?
【柿沢】人生で、仕事をする時間は長く、一生やっていくには、まず自分が好きなことを仕事にしないと続かないだろうなと思いました。また、健康であることは幸せであり、楽しく生活するために不可欠なものと、小さい頃から感じていました。
この想いを両立するのが料理だったのですが、「美味しかったね」だけで終わりにしたくはありませんでした。もう一歩踏み込んで、食べているうちに健康になれる食事法があることを知って欲しかったし、それを広げたいという想もあって、お客様の体の中まで元気にできるお店がやりたいと思ったのです。特に、同世代の女性たちには、ダイエットしなきゃとか便秘だとか頭が痛いとか、どこかしら身体に不調がある人がたくさんいます。それが食事で解消できることを知ってもらえたら、もっと楽しく、生き生きと暮らせるのではないかと思ったのです。
また、よいものを作っている農家の方たちを応援したいという気持ちもありました。そこで作った野菜を食べると、こんなに毎日元気で快適に暮らせるんですよと多くの人に伝えることができれば、よい野菜がもっと注目され、食べてもらえると思ったのです。
――お店をオープンするにあたり、マクロビオティックの学校に通いましたが、それ以外にどんなことをやりましたか?
【柿沢】全国のマクロビオティックのお店にも行きましたし、ドイツ、フランス、イタリアで、ベジタリアン向けレストランを回ってリサーチもしました。もちろん、物件探し、スタッフの募集、農家さん探しもしました。お店は、とにかく野菜の美味しいお店をやるのが大前提で、東京だと採れたての野菜を仕入れるのが難しく、さらに家賃も高いので、夫の実家のある宇都宮でオープンすることにしました。とはいえ、自動車の免許も持っていなかったので、自宅からお店まで一人で通うこともできず、また私は東京出身なので近くに知り合いはいないし、何から何まで大変でしたね。
仕入れ先は、都内の有機野菜のお店などでいいものを見つけたときに、生産者をチェックしておいたんです。それで、オープンする前に直接電話して会いに行き、仕入れさせて欲しいと交渉しました。4軒交渉して、1軒は配送の都合で取引できなくて、3軒の農家さんと取引させていただきました。生産者の方とは今でこそ親しくさせていただいていますが、「あの時は、20代半ばの子が突然やって来て、相当怪しかった」と今だに言われますね(笑)。
こうして、2003年、栃木県宇都宮市に、オーガニックベジカフェ・イヌイをオープンしたのです。
- No.39 大九明子さん
- No.38 はまのゆかさん
- No.37 樋口弘光さん
- No.35 小松亮太さん
- No.34 おかひできさん
- No.33 桐谷美玲さん
- No.32 萩原浩一さん
- No.31 漆紫穂子さん
- No.30 柿沢安耶さん
- No.29 中村憲剛さん
- No.28 平澤隆司さん
- No.27 田川博己さん
- No.26 笹森通彰さん
- No.25 野口健さん
- No.24 中田久美さん
- No.23 ルー大柴さん
- No.22 松本素生さん
- No.21 田原総一朗さん
- No.20 野口聡一さん
- No.19 三枝成彰さん
- No.18 渡邉美樹さん(2)
- No.17 伊達公子さん
- No.16 佐藤可士和さん
- No.15 渡邉美樹さん(1)
- No.14 中田宏さん
- No.13 蓮舫さん
- No.12 竹中平蔵さん
- No.11 前原誠司さん
- No.9・10 渡邊雄一郎さん
- No.7・8 冨田勲さん
- No.5・6 高野登さん
- No.3・4 乙武洋匡さん
- No.1・2 藤原和博さん