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著名人インタビュー この人に聞きたい!
平澤隆司さん[ヘアアーティスト]



第2章 バイトに明け暮れた学生時代。接客のバイトでサービスの基本を学ぶ

「手に職をつけておきなさい」という親の勧めで、美容師の道へ

――音楽一筋から美容師というのは、大きな方向転回ですね。なぜ美容師だったんですか?

平澤隆司

【平澤】両親が、美容室を経営しているんです。土日はお店をやっているから、小さい頃は遊んでもらったことなんかなく、大変だなとも思ったけど、楽しそうに仕事しているのを見て、なんとなく自分も将来は美容師になるのかなと考えたこともあります。

タカシには姉と弟がいるんですが、2人とも美容師になりそうになかったので、多分、親はタカシに継がせたかったんでしょうね。それで、音楽の専門学校に進んだときに、手に職をつけなさいというつもりで「とりあえず美容師の免許を取っておけば」と勧めてきたんだと思います。でもその時は、美容師に興味があったというよりも、親が怖くって、ハイッと言って通信に行くようになったというのが正しいかもしれません。

――音楽をやりながら美容師の勉強をするのは大変だったのでは?

【平澤】美容学校に入学するときには、将来は美容師になるつもりでいたから、勉強するのは苦ではありませんでした。ただ、スクーリングが月に1日と、夏休みと冬休みに集中的にあるんですが、朝起きるのが大変でした(笑)。

当時、あるカリスマ美容師の無免許事件が発覚した後で、多分、美容学校を出てそのまま実家のサロンに入っちゃった人など、資格を取らないままやってきた人たちが、ちゃんと資格を取るために改めて学校に通っている人も結構いたんです。50歳ぐらいの人とか。それで、スクーリング初日のときには、「じゃあワインディングしますよ、みなさん。何分以内でやってください」みたいな。タカシは専門用語さえ知らないのに、周りの人はみんなできて、先生もできて当然のような進め方するしで、初めはとまどいました。

それで、当時の美容師法だったら、本来は通信を2年受けて、インターンとしてサロンに1年間勤務して国家試験を受けるんですが、アルバイトのし過ぎで1年だぶっちゃったんです。最後の1年は通信だけだったので、学校に行くのが月に一回だからあとヒマなわけですよ。そのときに、やる気がある子だったら、美容室に入るんでしょうけど、タカシはアルバイトしたんです。親からは、うちで働いてればって言われたんですけど、親を見てて、美容師として働き始めると長期休暇がとれないと思ったので、「今のうちにやりたいことやっておきたい」と言ったら、「勉強するのもいいことだけど、まだ学生の身だから、アルバイトするのもいい。いろんな人と接してきなさい」と言ってくれて。もう手当たりしだいにアルバイトしましたね。

姉の結婚を機に、すべてのバイトを辞めて美容師に専念

――たとえば、どんなアルバイトをしたんですか?

平澤隆司|専門学校時代。インターナショナル・バーでスタッフと。

【平澤】居酒屋でしょ、カフェでしょ、割烹料理屋でしょ、インターナショナルバー、水商売もやったことあるし。人と接するのが好きだったので、基本的に飲食系ばかり。ほとんどが地元の川崎でしたが、あるとき手相占いのおばちゃんに「自分のためになるバイトはどこですか?」って聞いたら、「北へ行きなさい」と言われたんですよ。そのときは、川崎でアルバイトしてたから「北ってことは東京ですか?」って聞いたら、「そう」って言って。ちょうど、横浜と東京からお誘いがあって、どっちにしようかなと思っていたところだったので、じゃあ銀座のほうに行きましょうって言って、銀座の割烹料理屋さんに行ったんです。

――ためになることはありましたか?

【平澤】タカシはお座敷担当だったんですけど、着物着てて、お客さんを待っている時は正座で待つんです。そういうところから始まり、日本料理の食べる順番を覚えたりとかね。作法の細かいことを覚えましたね。あと、大会社の重役さんが来ることもありました。普通だったら、10代の子がそういう人と知り合うことなんかできないじゃないですか。そんな人たちとお話しできたりとか、会話しているのを聞けたりとか、いい経験ができました。

――いろんな人と接する目的でさまざまなアルバイトをされましたが、どの時点で美容師に専念すると決めたんですか?

【平澤】決定的だったのは、姉が結婚することが決まったとき。姉は、祖父の家に住んでいたんですけど、祖父が一人になっちゃうので、タカシが代わりに行かなきゃと思ったんです。それで、姉が結婚する月にバイトを全部やめて、うちの実家の美容室に入りましたね。