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著名人インタビュー この人に聞きたい!
中村憲剛さん[プロサッカー選手]
[INDEX]
- 第1章 「全部自分にはね返ってくる」から、自分を甘やかさない
- 第2章 高校も大学も、とことんサッカーができる環境を求めて
- 第3章 実現できるか分からない夢を持つよりも、目前の課題を解決する方が意味がある
- 第24章 川崎フロンターレ:中村憲剛選手 ワールドカップ帰国後コメント
●第3章 実現できるか分からない夢を持つよりも、目前の課題を解決する方が意味がある
もっとサッカーが上手くなりたくて。コツコツと練習を重ね、大学4年でプロに手が届くまでに
――プロになることを意識しだしたのはいつ頃ですか?
【中村】大学4年生になってからです。これで食べていこうという楽観的な物ではなく、必死でしたけどね。大学に入ると、Jリーグの若手選手が中心のサテライトチームと練習試合をする機会があるんです。もちろん、1年生のときは手も足も出なかったんですけど、学年があがるごとにちょっとずつ太刀打ちできるようになり、4年生になると対等に戦えるようになっていました。そこで、一度チームの練習に参加してみたいと思うようになったんです。たまたまコーチが、川崎フロンターレに知り合いがいたのでお願いして、練習に参加させてもらいました。それが、俺にとっての就職活動でした。
でも3ヵ月くらい、合否の通知がなかったんですよ。その間、他のチームに行くのも失礼かなと思って、活動はしませんでしたね。何より川崎フロンターレの雰囲気が好きだったし、当時はJ2だったから試合に出られる可能性も高いだろうと思い、できればここに入りたくて、ひたすら連絡を待ってました。
――3ヵ月間、待っているときは、やはりやきもきしたのでは?
【中村】長かったですね。コーチを通じて合否の連絡がなく、落ちてるんじゃないかと思ったくらいです。周りの友達も、俺が川崎フロンターレを受けてたのは知ってたけど、みんな自分の就職活動が忙しかったし、ずっと合否がでなかったから、そっとしておいてくれてました。俺も何も言わなかったから、落ちたんじゃないかと思われていたかもしれませんけど(笑)。合格の内定は、大学のリーグ戦でフロンターレ関係者が見に来てくれていた時に、直接聞く事が出来ました。やった!と喜ぶよりも、ホッとしたという感じでしたね。
――もし川崎フロンターレがダメだったら、どうしましたか?
【中村】またどこか受けていたと思います。やっぱりサッカーがやりたかったので、どこかに受かるまで。両親には、大学4年の1年間は普通の就職活動はしないで、プロサッカー選手を目指して頑張るから了解してくれと言いました。息子が社会人になるというときに、びっくりしたと思いますが、俺が小さい頃から真剣にサッカーやってるのを知ってるから、反対はしませんでした。彼女(今の奥さん)は、あとで聞いたんですが、いきなりこの人何言ってるんだろうと思ったらしいです。でも、俺が大マジだったから、その時は言わなかったようです。それはそうですよね(笑)。
――13歳のハローワーク公式サイトでも、中高生から「プロサッカー選手になりたい」という相談をもらっています。
【中村】実力がずば抜けていれば周りが放っておかないけど、俺はそういう選手じゃなかったから。それでもタイミングよく、コーチがいて、フロンターレの人がいて、テストを受けられて、受け入れてもらえました。そういう意味では、人との出会いが大事かもしれない。あとは、サッカーが好きなことが、ものすごく大事です。だけど、好きでもプロになれない人はいっぱいいるし、確実な法則なんてないから、それ以上はわかりません。
「今日はこれを頑張った」と思える毎日を過ごして欲しい。その積み重ねで道ができるのだから
――普段の練習で意識していることは?
【中村】練習時間を無駄にしたくないから、ただボーッとやらないようにしています。また、強制的にやらされているというイメージも持たない。その上で監督は、自分たちにどういうことをやらせようとしているのか意図をくんで、練習するようにしています。そうすると、必ず得るものがあるので。基本的にボールを蹴るのが好きだから、それを楽しんでいるというのが、まずありますけどね。
――名門大学もプロサッカー選手も、それを目指したというよりも、目の前の課題をクリアしていくうちにたどり着いたという印象を受けます。日本代表についても同じですか?
【中村】小さいときからサッカーをやってきたから、いろいろな選手を見て、自分のレベルがどれくらいなのか分かります。そこで、身の丈に合わない高い目標を掲げてもしょうがないし。ただ、サッカーが死ぬほど好きだというのは、今でも誰にも負けていないという自信はあります。ボールを蹴るのが好きだし、もっと上手くなりたいから、毎日同じように練習して試合して、自分を分析し、コンディション整える。それを子どもの頃からずっと続けてきました。日本代表は、その延長線上にあったというだけです。
もちろん、日本代表としての誇りもあるし、自分のプレーによって日本という国が評価されるわけだから責任もあります。その分、充実したものを得られるし、自分を伸ばしてくれる場所なので、できればずっとい続けたいという気持ちもあります。だからと言って、何か特別なことができるわけではないので、今までと同じようにやっていくだけです。
――将来は、海外でプレーしたいという気持ちはありますか?
【中村】
プレーしたいという前に、タイミングだと思います。今そういう話はありませんが、もし話があればじっくり考えて、すべてのタイミングが合えば行く価値はあると思います。外国人の助っ人として行くわけだから、それなりの技術を身につけていることが前提です。日本のスポンサー目当てで声を掛けられても、試合に出してもらえないかもしれず、行って後悔するだけだから。そのときは、実力を買われて行きたいですね。
――最後に、中高生へメッセージをお願いします。
【中村】一日を無駄にするような生活を送って欲しくないです。何でもいいから、今日はこれを頑張ったと思えるような毎日を過ごしてください。それが積み重なって道ができてくるわけだから。もちろん、俺も中高生の時に、何でもない一日を過ごしたことがあります。そういう時って、すごく後悔しました。俺、今日一日何やってたんだろうって。ただ、どうしょうもないときもあると思います。でも、そういう日を極力減らして欲しいなと思いますね。自分の好きなことをやってもいいし、勉強に燃えてもいいし。頑張ってください。
取材協力:川崎フロンターレ
- No.39 大九明子さん
- No.38 はまのゆかさん
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- No.35 小松亮太さん
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