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著名人インタビュー この人に聞きたい!
中村憲剛さん[プロサッカー選手]
[INDEX]
- 第1章 「全部自分にはね返ってくる」から、自分を甘やかさない
- 第2章 高校も大学も、とことんサッカーができる環境を求めて
- 第3章 実現できるか分からない夢を持つよりも、目前の課題を解決する方が意味がある
- 第24章 川崎フロンターレ:中村憲剛選手 ワールドカップ帰国後コメント
●第2章 高校も大学も、とことんサッカーができる環境を求めて
サッカー強豪校できつい練習に耐えながら、授業でも意地をみせる
――高校は都立久留米高校(2007年度より都立東久留米総合高校)、強豪校ですね。
【中村】入学当初、部員は全学年で100人を超えていました。1年生だけで60人くらいいて、男子はクラスの半分がサッカー部というところもありました。でも、そこからバタバタと辞めていくんです。とにかく走らされて、こんなにきついんだったら辞めたという感じで。あと、坊主にしろと言われて、それが嫌で辞める人もいましたね。結局、本気でサッカーをやりたい人だけが自然に残るシステムになっているんです。俺はとにかくサッカーがやりたかったから、どんなにきつくても辞めるつもりはありませんでした。
練習時間はコンパクトで密度が濃く、放課後3時半くらいに始まって6時前には終わってましたね。うちの高校は定時制課程があったので、その授業が始まる前に帰らなきゃいけなかったんです。ただ、俺は片道35分かけて自転車通学していて、それが結構大変でした。今やれと言われても、絶対無理ですね(笑)。
――1年生から2年生に進級するとき、文系か理系かを選択しますが、その時のビジョンは?
【中村】文系を選択しましたが、それは単に数学が嫌いだったから。将来、何になるか考えるよりも、今日よりも明日、明日よりも明後日、サッカーがうまくなることしか頭になかったですね。といっても、勉強自体は嫌いというほどでもなく、ノートを取ったり自分でまとめたりするのは好きでした。練習はきつかったけど勉強を放棄しなかったのは、親から言われた「全部自分にはね返ってくる」というのが根底にあったからだと思います。あと性格的に、やれることをやらないのが嫌いなんですよ。本当はできるのにやらないとか、同じミスをするとか、そういうのが嫌いだったから。だから、授業中は寝たことないですよ。それは多分、意地だったんですよ。ものすごくつまらない授業もあったけど、それでもノートは取りました。でも、好きな科目とそうでない科目では集中力が違い、興味のない授業はたいてい成績は悪かったですけどね。
――都大会ではベスト4まで行きましたが、その頃はまだプロは視野になかったんですか?
【中村】都大会でベスト4になったときは帝京高校に敗れたのですが、実力の差を肌で感じました。だから、プロになれるようなレベルに達していないのは自分が一番分かっていたし、そんなつもりもなかったですね。でも、サッカーは続けたかったから、大学に行こうと思ったんです。もともと大学を目指していたわけではなかったんですが、部活を引退してから進学しようと思ったんです。ちょうど、中央大学のスポーツ推薦を受けられる、都でベスト4以上という基準を満たしていたので、あわてて願書を出して受験したら、たまたま受かったんです。
練習するのもサボるのもすべて自分次第の大学生活で、意識の持ち方を学ぶ
――中央大学といえば、サッカーの名門ですね。
【中村】当時はスポーツ推薦の枠でしか採っておらず、各学年15人くらいで、全学年合わせると50人程度でした。出身校を聞くと聞いたことある高校ばかりで、テレビで見たことがある人もいましたし、選手権で名前を聞いたことがある人もいました。さらに、3年生4年生の先輩には、あの人プロに行くよと言われるほどの人や、プロに近い人たちがいて。実力的にはJリーグにも行けたけどあえて大学に来た人とか、高校ではほぼエース格だった人たちの集まりだったから、レベルは高かったです。入るところ間違えちゃったかなと思ったくらいです(笑)。
練習は、個々のレベルが高かったので質も高く、当時の俺にしたら、かなりきつかったですね。でも、全部自分にはね返ってくるので、やれることはやろうと思いました。大学では、必須科目や受けたい科目を選択して授業に出るのですが、中には練習時間にかぶるものがあって、練習に出られないこともあります。そんなとき、俺は1人でやってましたけど、それをやるやらないは自由なんですよ。逆に、誰も強制しないから、サボろうと思ったらいつでもサボれるんです。すべて自分の意志。だから、上の学年になってレギュラーになれないと燃え尽きたみたいになって、練習に来なくなる人もいました。俺は、まだまだやれると思っていたし、それ以前に高校で燃え尽きるほどやったとは思っていなかったから、そんなことはなかったけど。また、プロになれるくらい実力のある先輩たちを見て、自分もそうなりたいと思っていたし。あと、何よりもサッカーが好きだったし、やれることをやらないのが嫌という性格がよかったんだと思います。
――そんな兵(つわもの)ぞろいのチームで、4年生でキャプテンになりましたね。どんなところが大変でしたか?
【中村】サッカーは、ただボールを蹴るだけではなく、チームをうまく機能させることが大事です。高校のときもそうでしたが、チームの結束を強くするために監督に指示を仰ぎながら、いろんなことを考えながらやってましたね。中央大学はサッカーの超名門で、52年間関東リーグ1部だったんですが、俺が3年のときに二部に落ちてしまったんです。そのため、俺がキャプテンのときは、なんとしても1部に上げなければならず、そのプレッシャーは半端じゃなかったですね。
その時も監督と話して、とにかく4年生が中心になってまとまってやらないとダメだと。そうしないと下がついてこないから、自分にも厳しくしていたし、周りにも言ってました。それこそ、俺が親に言われたことじゃないけど、自分にはね返ってくるんだぞと(笑)。
――プロサッカー選手になる道はいろいろありますが、大学に行ったことでどんなことが得られましたか?
【中村】一つは、チーム作りを学びました。また、大学は自分次第でどうにでもなるところだから、そういう意味では意識の持ち方を学びました。自分にとっては必要な4年間だったし、決して遠回りな4年間ではありませんでした。
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