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著名人インタビュー この人に聞きたい!
松本素生さん[ミュージシャン]



第2章 自分の根本的な価値観は、全部中学校のときに知ったもの

同級生が聴いてない音楽を聴いて、いち早く感動していたかった。

――中学生のころは、もう音楽に夢中だったわけですね。どんな中学生でしたか?

松本素生/GOING UNDER GROUND

【松本】お金がなかったから、音楽をひとしきり聴いていましたね。誰よりも、音楽のことだったら、偏っていようが、もう負けたくないと思って、誰よりも音楽を知ることを自分に課してました。図書館に行って、一人2枚まで無料でCD借りられるんですけど、最高で1日4往復したことがありますね。それをカセットテープにとって、ライナーをコピーして、聴いて、それを翌日も繰り返していました。同級生が聴いてない音楽を聴いて、いち早く感動していたかったですね。「考える」ことって、人が知らないことをとにかくやってみるってことなんだと思うんです。聞いてみる。知ってみる。最初は完全に受け身でもいいから、もう浴びるように音楽を聴いたりとか、人が寝てる間にそれこそ音楽を聴いて、授業中寝ます、みたいな。

自分の根本的な価値観は、全部中学校のときに知ったもの

松本素生/GOING UNDER GROUND

【松本】これは別に言い過ぎでも何でもなくて、全部おれの中の根本的な価値観とか、自分の胸を震わすものって、全部中学校のときに知ったものなんです。映画だったり、本だったりっていうのも、根本はそこです。ブルーハーツ聴いて、「音楽、楽しい」と思って、そこから派生していろいろなことを知りたいと思った。そこで知ったものは永遠に流れてます。おれの中学時代は90年代だったんですけど、90年代の音楽が好きだし、映画が好きだし、まちの風土も好きだし。あの時代に中学生で、働いてなくてよかった、浴びるように音楽聴けてよかったな、寝ないで本読める生活って最高だなと思います。

陶芸家の親父を見て、自分の好きなことを職業にするって大変だと思った

――将来については考えたりしていましたか?

松本素生/GOING UNDER GROUND

【松本】うちの親父は陶芸家と言いつつも、食えない時期があったから、おれが中学生のときは、バイトしてました。そんなおやじを間近で見て、自分の好きなことを職業にするって大変なんだなと思ってました。それでも、「おれは陶芸家だ」というところもあって、そんな親父を見て、結局、自分の気持ち次第なんだなと思ってました。人から肩書で呼ばれたいのか、自分がそれをやりたいのかということだけの違い。

おれは、もう寝ても覚めても音楽が大好きだったから、音楽を職業にしないで、音楽のために働こうと思っていました。バンドデビューして、うちのおやじみたいに、あくせくしてやるんじゃなくて、CDやギターを買ったり、ライブに行ったり、スタジオに入るために、仕事をしようと思ったんです。だから、高校は行って、バンドやって、卒業して18歳になったらお金を貯めて、みんなで家を借りて、そこに住みながら音楽やるつもりでした。

音楽をこのメンバーで死ぬまでやっていたい

――プロを目指していたわけではなかったんですか。

【松本】デビューすることが目的じゃなかったし、雑誌に載ることが目的でもないし、テレビに出ることが目的でもないし、CDをつくることが目的でもありませんでした。最終目標として、音楽を死ぬまでやってたい、このメンバーでやってたいということだけで。 なんで音楽がやりたいのか、音楽で食っていくことが自分の中で正解なのかをどんどん考えていくと、「じゃ、お金もらえなかったら、おまえの音楽はもうないのか」と。自分が音楽に対してどう思うかが大切なんだと。極論を言うと「おれ、ミュージシャンです」と言ったら、ほかのバイトをしていても「ミュージシャン」なんです。ただ、その理由は常に欲しい。井の中の蛙みたいな感じでいいから、どうして「おれたち最高なんです」と思えるのかを自分たちで問い詰めていれば、それを職業としてると言えると思うんです。ミュージシャンかどうかというのは、マインドの問題だと思います。