HOME > もっと教えて!フォーラム > その他働くことについて何でも! > 回答・コメントする(No.1704)

もっと教えて!フォーラム
回答・コメントする(No.1704)

いつも、子どもたちの疑問にお答えいただき誠にありがとうございます。
13hw編集部より、ご回答くださる際のポリシーに関するお願いです。
 
  • 回答は、基本的には、その職業の方(または経験者、相応の知識を有する方など)にお願いしております。
    しかしながら、なかなか回答のつかない質問もあります。
    投稿されてから2週間経っても回答がつかない質問に関しましては、職業などに関係なく、ご回答のご協力をお願いしたいと考えております。
  •  
  • 白書の皆様におかれましては、貴重な時間を割き、子どもたちの質問に丁寧にお答えくださったり、叱咤激励してくださって誠に感謝しております。
    このようなお願いをするのは大変恐縮なのですが、勇気を出してこのサイトに質問を投稿してくれた子ども達に、よりよい情報を提供したいと考える当サイトの運営ポリシーをご理解・ご了承いただけますと幸いです。

もっと教えて!フォーラム 質問 みなさんは

[Q] みなさんは、小さいころに将来の夢がありましたか?
また、その将来の夢を今、実現できていますか?
どうでもいいことなのかもしれませんが、
気になります。
これをみたら、書き込みお願いします。

[A.9]

タレントと共演する事を夢見て、いつしかミュージカルスターに成りたいと思うように成りました。と同時に小さい頃から図工や美術が得意でしたので、デザイナーに成り生計を立てようと言う現実的な自分がいました。高校を卒業し、デザイン専門学校インテリア学科を卒業し、学生の頃から体験学習でお世話に成った設計事務所に就職し良き先輩にも恵まれましたが、公共施設の設計が中心で、僕のやりたい事との違いを感じ、又、残業ばかりで先輩と酒を飲んで帰る生活の繰り返しとなり、ここに来て初めて、学生の頃にミュージカルスターに憧れていた事を思い起こしました。そう!ウエストサイドストーリーの様にかっこよく踊りたい!と思いました。そこでミュージカルをやっている劇団を自分の足で探し入団しました!そこはタレントプロダクションでもあり、テレビや色々なステージに立ちました。又、練習日に定時で帰宅することを認めてもらえないない設計事務所は辞め、新たにデザイン事務所に拾ってもらえる事が出来ました!しかし、その会社はバブル景気の終わりと共に潰れ、今は結婚をし、劇団も辞め、設備の仕事をがんばって居ます!


[A.8]

ミント☆さんこんばんは。

私の通う小学校では、卒業式に夢を風船に書いて飛ばしました。
そのときは
「獣医さんになりたい」
と書きました。

ミントさんと同じ中学生のときは、看護婦もいいな、
エステティシャンもいいな。。。と思っていました。
ですから、いくつかあった選択肢の中のひとつの職業には就いています。

でも、今でも飼っている犬の予防接種などでお世話になっている獣医さんや、
風邪をひいたときや健康診断などで通う病院の看護婦さんを見ると、すごいなぁ、と思います。

当時は私もあんさんのおっしゃるように、「動物はかわいい、楽しい」が理由で
獣医さんが夢だったかもしれません。
確かにその頃は犬を飼うことが夢でもありました。
また、看護婦さんは木下藤吉郎さんのおっしゃるように、人の命を預かる責任を自分が背負うことに
無理だと感じました。
どちらの職種も尊い生命を預かる責任ある職業です。
いなくてはならない人たちです。
大人になった今は憧れではなく、獣医さんも看護婦さんも、感謝し尊敬しています。


2007/04/10 07:10  けんけんさん[電車運転士]
[A.7]

私は夢を現実にできましたよ
電車の運転士をしていますが 物心ついたときから運転士と言ってました 
今は運転士の仕事 充実してます
でもね 酔っ払って絡んでくるお客さんや 自分が間違っているのに文句を言うお客さん
携帯電話 タバコなどのマナーの悪いお客さんと出会うのが嫌なところです
まあ あと給料は皆さんが思ってるよりよくないんで 家族には迷惑をかけてるかな


[A.6]

小学校の頃になりたかったものは弁護士でした。
世の中の弱者を救う弁護士の姿がかっこよく見えたのかもしれません。

今はその夢とは違う方向に進みましたが、自分の考えの根本は変わっていないです。

仕事で関わる人たちは同じ障害者の中でも決して恵まれた環境ではありません。
その人たちの人権を守ること、より良く暮らせる社会(地域)環境を作ることが私の今の仕事です。

人が好きな気持ちもあの頃と変わっていませんね…。


[A.5]

 小さいころになりたかったのは、お花屋さんでした。
 理由は、親がやっていたもので。

 今は、親と一緒に仕事をしています。


[A.4]

 ミント☆さん、やってみたいことを教えてくださってありがとうございます。
 あんさんからも素敵なお返事いただけて良かったですね。

 優しい大人に出会うことは、将来について考える時に大きな影響を受けますね。幼稚園の先生も、妹さんや、弟さんのお世話をなさるミント☆さんの良いお姉さんぶりを御覧になって、感心していらしたのでしょう。妹さんも弟さんも、ミント☆さんのことを頼もしく思われていると思います。

 ミント☆さんがどんなお仕事を選ばれるにしても、あなたの出会われた幼稚園の先生のような、優しくて、とってもステキな大人になってください。


[A.3]

木下藤吉郎sへ
私は・・・。
一応あります。
でも、将来の夢ではないと思います。
やってみたいことです。
それは、幼稚園の先生です。
私は妹と弟がいるので、幼稚園にはいろいろといっていたんです。
幼稚園の先生はとてもやさしくしてくれたんです。
だから、幼稚園の先生はとってもステキだなって思ったんです。
長々と書いてすいませんでした。


2007/03/11 21:02  あんさん[その他・女]
[A.2]

小さいころの将来の夢ありましたよ。
職業名としては現在の職業名とはかけ離れていますが、「こんなことがしたかったんだ」という目的は叶っています。
私は小さい頃はおとなしくて、積極的に友達を作るタイプではなく声がかかるのを待っているような子でした。
なので、人間よりも動物とか植物と一緒にいる方が好きだし気楽だったんです。
自然と、生き物に関係する職業で獣医になりたいと思いました。
しかし、子供なので獣医という仕事を誤解しており「毎日自分のところに動物がきてくれて楽しい」という感覚でした。小学生ごろ獣医の仕事の中身を知るにつれ「患畜が死んだらショックで立ち直れそうにない。」思い、植物方面へ方向転換。植物の研究者になろうと思いました。
大した理由はなく動物がだめなら植物で。そして、好きだから。職業名は特に思い浮かばなかったので「研究者」にしておいた次第です。
他にも色々、なりたいものが2つ3つあった時期もありましたが、結局この夢だけが大学院卒業、成人するまで変わりませんでした。
しかし、夢が現実に近づくにつれて自分が「職業(=肩書き)」という看板のみ追いかけていて何を目的としているのかが全く抜け落ちていることに気がつきました。
大学3年生頃、将来を真剣に考える頃にようやく、自分が何をしたいのかがはっきりしました。
成長するにつれ、人間付き合いも苦手でなくなり気がつけば「ただの生き物好き」ではなくなっていました。過酷な環境でも育つ食用作物を作って食糧難を解消したいという気持ちが大きくなり、そのときには「研究職」という肩書きは一つの選択肢でしかなくなっていました。

結局、研究職につくよりも、全く違った業界へ入って(私の場合は国際協力業界)自分の専門を生かすほうが、私のしたいことが出来るので無理に研究職につくのは辞めました。

将来の夢は叶ったか、には2通りの答えがあると思います。
1.職業名(=肩書き)が手に入ったか。
2.思い描いていた自分になれたか。

私は1は叶いませんでしたが、2は叶いました。


[A.1]

 小さいころは、病気がちだったので、小児科のお医者さんになりたかったです。

 その夢は今、実現できていません。
 医師も看護師も、充実感や達成感が得られたり、信頼できる同僚に恵まれたり、生活できる額のオカネを稼げたりすれば良いという人には勤まりません。自分の命を削って患者さんを治療する、自己犠牲の精神に溢れる人でないと勤まらないので、自分にはとても無理だと思いました。

 今は、病気を治すことはできなくても、少しでも人の痛みを和らげることができる人になりたいと思っています。

 ミント☆さんには、将来の夢はありますか?どうでもいいことなのかもしれませんが、気になります。よかったら、教えてください。