HOME > もっと教えて!フォーラム > 【バックナンバー】過去のテーマはこちら > 回答・コメントする(No.1194)
もっと教えて!フォーラム
回答・コメントする(No.1194)
-
いつも、子どもたちの疑問にお答えいただき誠にありがとうございます。
13hw編集部より、ご回答くださる際のポリシーに関するお願いです。
-
回答は、基本的には、その職業の方(または経験者、相応の知識を有する方など)にお願いしております。
しかしながら、なかなか回答のつかない質問もあります。
投稿されてから2週間経っても回答がつかない質問に関しましては、職業などに関係なく、ご回答のご協力をお願いしたいと考えております。 -
白書の皆様におかれましては、貴重な時間を割き、子どもたちの質問に丁寧にお答えくださったり、叱咤激励してくださって誠に感謝しております。
このようなお願いをするのは大変恐縮なのですが、勇気を出してこのサイトに質問を投稿してくれた子ども達に、よりよい情報を提供したいと考える当サイトの運営ポリシーをご理解・ご了承いただけますと幸いです。
教育基本法改正、子どもに説明できる?
[Q] 今、国会で話題になっている教育基本法改正ですが、あなたはどの程度、子どもに説明できますか?
子どもに自分の意見を聞かれたら、どのように答えるか、をコメントとしてお書きください。
【参考資料】
文化省-教育基本法案について
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/houan.htm
【回答方法】
(1)ログインしてください。
(2)上の選択肢から最も近い回答を投票してください。
(3)下の「書込み」ボタンを押し、投票した選択肢と、「どんな風に子どもに答えるか」を書き込んでください。
子供に聞かれたら、このように応えるつもりです。
「昔の日本の人が大切にしていたことは、やっぱり大切なことだよ。
という法律にしたんだ。
大切なことって、自分を含めて、みんなを思いやる気持ちなんだ。
当たり前のことなんだけれど、その当たり前のことを意識していこう
ってはなし。
いい事ではあるけれど、一つだけ注意しなくちゃいけないことがある。
ただ、それはちょっと難しいから、それがわかるように勉強しなくちゃ
いけないのさ」
細かいことが質問されれば、回答はしますが、結局、知りたい事は、
実際、自分がどうなることなんでしょうけどね。
ちなみに、ポイントはこの三つだと認識しています。
1・愛国心
2・道徳の項目が具体的である
3・教育行政
1・愛国心
愛国心というと、
・自分の国さえ良ければいいという利己的な愛国心
・国家に従属すればいいという愛国心
・政治の強制力としての愛国心
という、様々なステレオタイプが生じてしまいますが、素直に読めば、健全な意味での自国に自尊心を持つ原動力だと認識しています。
2・道徳の項目が具体的である
いわゆる道徳に類するものが明記されているところが気になっています。
もちろん、総論レベルであれば、当たり前のレベルだと思います。
3・教育行政
教育行政の項で国民への直接責任が削除され、
「法律の定めるところにより」が入ったところが、
ポイントになると考えられます。
これによって、法律さえ変えてしまえば、教育方針の変更が可能になるということであり、その時の政治が教育に左右されることが可能になります。
個人的に、非常に心配しているところであり、子供に質問されて、難しいところというのは、まさにここだと思っています。
なぜ、心配かといえば、その時の社会情勢と実質的な力を持つ存在に依存する傾向が強くなりやすくなります。
たとえば、現状は、経済界に都合の良いように法律が改正されていますが、どうように、経済界の都合教育が動いてしまう可能性が高くなります。
もちろん、国民各自が、そうならないように監視し、主権者として意見を主張し、議論することさえあれば、この可能性は回避できますし、そのための教育と信じたいです。
ともあれ、すくなくとも、現在の教育についてあるとされている問題の対策としては、教育基本法法案は、個人的には賛成です。
ただ、法律が教育を変えるのではなく、人が教育を変えるのだ。
という意識は、大人として各自がもっておくべきで、口で言うより、態度で示すべきなのだとは思っています。
いろいろな法律の上位に憲法があるように、いろいろな教育上の法律の基本をきめるから教育基本法といいます。たしか戦後に、憲法が制定される次ぐらいにできた、とても大切な法律です。
法律というのは国民と国家のあいだで決めたルールです。60年前ぐらいに戦争が終わったとき、正直、その当時の人たちはほっとしたと思います。
まだ誰もが貧しかったとき、小学校にも生徒会議会があって国に象を動物園に買ってほしいと請願したそうです。
憲法には請願権が規定されているから。
結局インドの首相が寄贈してくれたり、無償で運んでくれる船舶会社があったりして、買ってくれたんだけど。
大人も子供も一生懸命だなあと思いました。
今はどうでしょう。いろいろな問題が社会や学校に発生しています。だから教育を変えれば日本のいろんな問題は解決する方向へ行くと、文部科学省や、官僚や、政治家は考えたのです。
特に新しい教育基本法で気になるところは教員の規定を自己の崇高な使命を深く自覚し絶えず研究と修養に励み云々というところでしょうか。教職員という仕事を16年前に10年間機械設計技師をやった後になった私には、恥ずかしい言葉だなと思いました。そのころの教職員の服務態度は警察官だった父と比較してのんびりとしたものでした。やっと絶えず研究と修養に励みという文言を入れたかと思うとまだまだこれからやなと思うのです。昔は生徒と同じように先生も夏休みに自宅研修と称して家にいても何もレポートも出さずに遊んでる先生もたくさんいました。今は夏休み中も出勤してます。体育系のクラブを熱心にやる先生はともかく、ただ来てるだけという先生もいますし、いまだに何時に出勤して何時に退勤してるか不明な人もいます。先生という仕事は、世間知らずの人が多いので、生徒にとんでもないことを教えてる場合だってあります。
でも、ほんとに教育で世の中をよい方向へ持っていくなら、今の現状が18年前ぐらいからのゆとり教育の産物なんだということを見抜かなければいけないと思います。いまだに学校歴が幅を利かし東京大学や京都大学が文教予算の60パーセントを占めている現状は、この法律の趣旨が国民全体に等しく能力に応じて教育の機会が保証されるのではなく、一部の恵まれた家庭の子だけがよい教育よい就職にありつき、昔一億総中流と思ってた普通の人は貧しくなりつつあることを加速するのではないかとおもいあぶないなあと思うのです。
嫌いなものでも我慢して食べなさいと指導していた保育所が、好きなものを食べ嫌いなものは残してもいいよと指導方針が変わったバブル末期が自分勝手な、道徳心のない犯罪の多い検挙率の低い私たちの社会を形成してるのではないでしょうか。
私はもし子供に話すとしたら、人を変えることができるのは法律ではなくて愛情だと話します。なぜなら私が出会った、困難なものを抱えて生きていた少年少女が変わった時、その前に変わったのは周りの、かれらにとっていちばんだいじな(どんなに反抗したとしても)大人だったと言うことができます。
法に触れて学校の教師や大人から今までとは違った目で見られて、いっそう自分を見失った少年も見ました。人は条件無しの愛情を感じ取れた人に心を開くものだと思います。誤解されるかもしれませんが法律は「処理」に近いと思います。基本法の精神を、責任ある大人たち、とりわけ教育行政や政治にたずさわる人たちが大事にしてきたでしょうか。目の前の大事な青少年に愛情をもてない人たちだったとしたら、一体何をしてきたのでしょうか。
平気で「分かるのは3割でいい」といいながら未来ある人たちの希望をふさいで、どうにもならなければ「法律」を作る。私には大人として大事なものを見失ってきた、責任を果たさなかった、本気にならなかった、そうとしか思えません。
法律を作る前に、現場を具体的にかつ深くサポートする決意と、現場の教師の抱える闇の深さを共有する決意をしなければ、「上」にいる意味がない。今必要なのは臨床心理士や犯罪心理学、カウンセラーそのような人間のプロを教育現場に総動員し、教育現場の生身の「生徒・教師」をサポートすることだと強く思います。
わたしは、ごまかす程度には説明できるを選択しました。
今回の教育基本法改正については、ニュースや新聞を見る限り「愛国心」というキーワードが
大きく取り上げられていたように思います。
これって前文です。
前文は憲法の前文を参照するまでもなく非常に重要なのですが、内容は抽象的になりやすい
ものです。
いままで抽象的だった「愛国心」を法律のなかで際立たせることの本質的な意味を考えさせることが
重要なのではないでしょうか。
「防衛庁」が「防衛省」になることも関係がなくはないのかもしれません:coolsmirk:
「説明できる」を選択しました。子どもに聞かれたらどう答えるかとのご設問ですので、極めて簡略に申し述べます。
今回の「教育基本法改正案」の拙速な議論は、大人達が壊れている状況を示していると思います。
そもそも「法律」とは何でしょうか?批判を恐れずに一言で言ってしまえば、「法律」とは、国家と国民との間で交わす「契約」です。身分違いの恋をしたら死刑という国もあれば、生活苦を嘆いただけで、家族全員強制収容所送りになる国もあります。「そういう契約でしょ?」とその国の役人達は言います。「契約に違反したら違約金を払ってもらうぞ。お前と家族の命でな」というわけです。
大人達は、仕事上の取引で契約を取り交わす時、長い時間と多くの人手をかけて、細心の注意を払います。個人で家や自動車など高額の商品を買う時、生命保険や損害保険に入る時、裁判所で示談書や和解書にサインする時、皆必死に契約書の内容を読み、弁護士などの専門家の意見も聞いてよくよく考えてからでなければ署名捺印しません。日本中の大人が自分の契約書は必死に読んで考えるのに、日本人全体がサインしようという契約書には無関心に思えるのは何故でしょうか?サインするのが自分自身でなく、選挙で選んだ自分の代理人だからでしょうか?
法改正の内容以前に、大人達の中から選りすぐられた、日本の将来を託された方々が熟考も議論も放棄されたように見え、強い不安を感じます。
改正条文にも多くの専門家からいろいろな疑問が呈示されていますが、私が最も疑問なのは、男女平等の項目が全面削除されていることです。若い人達の話を聞いていると、社会で働く女性達は、男性達がする仕事上の苦労を全て共有した上に、セクハラやストーカーの被害や、出産と育児のための職場からの一時離脱の必要性など、女性だけの負担の重さに苦しんでいます。男女差別の完全解消の理想は「教育基本法」に高く掲げ続けるべきではありませんか?
「いじめについて考えて」と子供たちに語り掛ける文部科学大臣閣下のご姿勢は大変ご立派で、最大限の敬意を表させていただきますが、子供達は「大人達ももっと落ちついて考えて」とお返事するのではないですか?