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回答・コメントする(No.1023)
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いつも、子どもたちの疑問にお答えいただき誠にありがとうございます。
13hw編集部より、ご回答くださる際のポリシーに関するお願いです。
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回答は、基本的には、その職業の方(または経験者、相応の知識を有する方など)にお願いしております。
しかしながら、なかなか回答のつかない質問もあります。
投稿されてから2週間経っても回答がつかない質問に関しましては、職業などに関係なく、ご回答のご協力をお願いしたいと考えております。 -
白書の皆様におかれましては、貴重な時間を割き、子どもたちの質問に丁寧にお答えくださったり、叱咤激励してくださって誠に感謝しております。
このようなお願いをするのは大変恐縮なのですが、勇気を出してこのサイトに質問を投稿してくれた子ども達に、よりよい情報を提供したいと考える当サイトの運営ポリシーをご理解・ご了承いただけますと幸いです。
高校必修科目の未履修事件、どう思いますか?
[Q] 全国の高校で必修科目の未履修が公立289校にのぼることが各地の教育委員会の調査などで判明しました。(30日現在)
未履修の生徒は全国で少なくとも4万7000人以上を超えるとみられています。
[b]この高校必修科目の未履修事件、どう思いますか?[/b]
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一般的にルールを無視した事で得た評価は、ゼロ以下のマイナス!が法や文化やスポーツに言える事ですよね。
極端な例ですが、日本の教育文化は、「高い偏差値の獲得→有名大学合格→キャリア組(→天下り?)」の構図
が目的にも取られてしまいかねないと思う時がある。学校授業の意図と大学受験は必ずしも一致するものではな
いはずなのでは!?
日本、外国の歴史を知り、文化を知り、社会という中で生きる方法を知り、自分の興味、可能性を知り・・・
ある意味で、こういった心のゆとりは必要と思います。しかし、有る意味での優秀な人材の育成は大切な
国策かもしれませんが、経済発展を見つめすぎた現在の地球環境と同じ結果を、子供達にも行ってしまっている
様で心配です。
社会すべてに関わる問題ですから
この問題一つで考える事が難しかったので
「どちらともいえない」を選びました。
教育って何かというよりは
もう一度、教育を作っていくぐらいの所からはじめないと
すべては、資本主義社会の消費活動に
飲み込まれる事になると思います。
つまりは、大人社会の利害関係という事ですね。
子どもに、今の社会を新しくする力を
持ってもらわないと、社会は死ぬでしょう。
大人は、未来を作ってもらうために子どもにするべき事が
出来ているのか、、、
かんがえこんでしまいます。
自分の高校も未履修の科目がありました…履修もれが発覚した当時、担任からは「君達(生徒)に責任はないから、君達の時間割に変わりはないよ」と言われましたが、結局、今科目をとっていないクラスの生徒達だけ未履修科目の授業を受けています。校長からは「すいませんでした」の一言も、ありませんでした。やらなくてはならない事だと、わかってはいるのですが、高校の対応に大きな不満をいだいています。
入試に関係のない科目を必修にするのが変なのでは?
高校としては自分の学校から一人でも合格者を出したいので入試に関係ないのなら力は入れないでしょうね.国の馬鹿なゆとり教育という馬鹿な政策のせいでこんな自体が起きたのでしょうね.
今、ただでさえ日本の学生の能力が世界の子供に比べて落ちてきているのはこんなところに原因があるのでは。
またゆとり教育で余分に休みを取ってもかえって勉強が遅れ塾通い。
国は朝令暮改で教育現場をばらばらにしています。
日本の国の役人は役立たずの人間が多すぎます。自分の手柄を立てる事は
一生懸命ですが本当にこれからのこの国の事を考えているのでしょうか?
責任の所在は学校にある。その責任の原因は、戦後教育を疎かにしてきた教育政策のあり方にある。
戦後、農耕民族から工業民族への転換が必要となり、所謂「高度な良い人間」を育てることを目的に、義務教育だけではなく、生徒全員高校進学路線を走り、高校義務化を図り中卒者がなくなった。
次に、工業化人間ではなく情報化社会に適応する「より高度なより良い人間」を作り出すことに精を出し、大学進学を推奨して大卒者も珍しくなくなった。院に進む学生もすでに珍しくはない。
その路線を走る学校という電車が、必死で走り続けて運転者(教職員)が現場のストレスから手抜きをし、車体(生徒を含む教員環境)も甘んじてしまった結果だ。
大人達は、教育とは何なのか・人間形成とは何なのかを、今一度真剣に考えるべき時なのだろう。
必修科目を設定した国には、卒業時に単位数ではなく本当にある程度理解し、知識として個々の高校生が身に着けているかをチェックする責任があると思います。それは高校に限らず義務教育の小中学校でも同じで、大人になってもまともに小学校低学年レベルのことも理解していない人が高校以上の学歴を持っていること自体、以上だと思います。私の部下にも小学生レベルの計算すらまともにできないが、スポーツで高校に行き会社に就職してきた人が過去にいました(結局仕事についていけなくて辞めてしまいましたが)。
別にスポーツが得意な人を非難しているわけではではありません。でもその人にしてみたら回りからは高卒と言う目で見られるため、せめてこの程度はわかっているだろうと思われ、いたたまれなくなったと思います。
人それぞれ得意不得意はあると思いますので、『研究機関(決して教わるところではないはず)』である大学が入試の科目としてその専門分野の科目を中心とすることは致し方ないとは思いますが(ただし社会に出たとき専門馬鹿になって本当に役に立つ人間になるかはわかりません)、高校を卒業するには最初にも書きましたように現代の日本社会として高卒なら最低このくらいのことは知識として、また考える能力として必要だと考えて決めた科目ですので、それがきちんと出来ているかフォローする必要があると思います。
ただ、そのためには何のために大学に行くのか、高校に行くのかといった根本の考え方を社会全体で考え、方向を示す必要があると思います。自分も高校時代は当然のことのように大学進学を考え、一応この地方ではそれなりの公立の進学校に行き、何の疑いも無く受験に向けた勉強をしてきましたが、今考えると本当に何を学びたかったのかもよく考えず、ただ就職するにはこの学部が有利だと言うだけで得意でもない分野に進んでしまいました。それはやはり自分の責任が一番大きいとは思うのですが、社会全般が皆大学へ行かなければ行けないような風潮があったことも影響していると思います。
今、製造会社で問題になっていることの一つに生産現場での熟練者が大量にいなくなることがあげられています。今の若者の中にも物を作ることが大好きな人もいると思います。そういう人たちが職人として金銭面でも高く評価され、尊敬されるような社会作りが必要なのではないでしょうか(先日スイスへ旅行したときガイドさんからスイスでは大学に進学する人はごく少なく、皆専門分野の学校を出て、その資格を取れば、国中どこへ引越しても仕事を得ることができると聞きました)。そうすれば、大学受験一辺倒のために起こった今回のような未履修事件も防げ、また若者に夢を与え、自分の仕事に誇りを持っていけるのではないかと思います。
シンガーソングライターの「さだまさし」さんの高校の恩師の方は「学校では勉強を教わるのではなく、勉強の仕方を教わるところで、勉強は一生していくものだ」と言われたと聞いております。私も同感で、高校までは広く浅く基礎知識を得るところで、その中で自分が得意なもの、興味のあるものを探し、それを更に大学で深く研究するもよし、社会に出てから趣味で自分で深く探求していくのもよいと考えます。
長々と書きましたが、今回の問題は国・高校にあるのではなく、社会の価値の観念を変えていかなければなくならない問題だと思います。
受験対策として必修科目を省略するのは絶対に許されないと思う。真面目に全てを履修してきた者に失礼である。高校は受験予備校ではない。高校は人間として生きてゆく為の知識の厚味を増す為の場所のはずである
そもそも世界史の知識の無い者に物事の正しい判断が出来るのかと言う根本的な議論が抜けている。物事の判断を正しく行う為に必要な事は「経験」である。しかし、現代世の中において個人の経験だけで判断出来る事はほとんど無い。経験の不足を補うのが歴史教育である。なぜ核兵器の拡散に世界中が神経質なのか、歴史に学んだからに他ならない。
話は変わるが、根本的な観点が間違った議論に未履修事件がなっていると私は思っている。
高校は幅広い知識と豊かな人間性形成の場所の筈である。又、精神年齢が大きくなるのを待って、教育する必要がある内容を教育する場所でもあるはずである。例を挙げるならば、「警察に届けられた鍵の掛かった鞄を警察官は鍵を外して中身を検査する権限を有するかどうか(実際はこの議論は大学レベルですが)」と言った議論は中学生では理解できません。高校生になって初めて論理的な議論になるはずです。
高校は大学受験の予備校ではない。一つの独立した教育機関である。大学との関係において下請けではない。
教育機関は、ある一面から見れば機械メーカーの下請け部品メーカーである。メーカー間に横たわる前提条件がある。親メーカーが検査しない項目についても従前の要求基準を満たした物を納品する事。この事が守れないメーカーは取引から排除する。これは世間一般の常識だと思う。
今回の問題に当て嵌めてみると未履修の生徒を卒業させようとした行為の異常性がわかると思う。
未履修科目が出た事を踏まえて学習指導要領の改訂を考える際にどのような知識を持った人間で国家を構成するのかを十分に議論すべきだと思う。
当然、ルールを知りながら、無視していた学校側が最大の責任でしょう。
けれど、今は、それが問題なったので、みんなで考えるべきなのでは。
今も他人事のように思う人たちが居るのなら、それはまた問題でしょう。
たとえば単位は一律で取ればいいのかとか…。
どこからが専門になるのかは今は大学がメインですが、
それを高校から考えれば、ある科目に倍の教育と単位を与えるのもOKでは。
つまりは専門と平均の認定を分けるべきだと思います。
私はマスコミに働いてますが、マスコミはまだ「大卒」だったりします。
けれど、私は高卒で頑張ってますよ^^;。
あまりにも学力や知識を、個人に認定できないシステムに問題があるかと。
新しい知識は、テストでは測れないのですから。
多くの高校で当たり前のように行われていたこととはいえ、これだけの大問題となると…困ったことです。
「学習指導要領に示されている事項」という原則と、「受験指導」という現状との乖離が引き起こした問題なのだろうと思います。
現実問題として、高校卒業のために必要な科目の履修は、高校が各学級に設定した時間割にしたがって生徒が授業を受けることで確実に履修されているというのが通常なのですが、そうはいっても高校としても、そこに通う生徒としても、その後の大学受験を考えると、3年間で受験に必要な科目を履修したほうが効率的。きわめて合理的な考え方です。受験ではそのほうが有利。より志望校に近づくわけだし、学校は受験実績も上がる。私立理系を受験する生徒は世界史はおそらく受験に使わないのではないでしょうか。
しかし、学校教育がそれでいいのだろうかと思います。それじゃ学校に来て学ぶ意味はないのではないだろうか…。 これを中学校に置き換えれば、国・社・数・理・英さえやっていればいいということになります。公立高校の受験に必要な科目はこの5科だけですから。さらに極論をいけば国・数・英の3教科しかやらないということです。私立で3教科しか試験をしないところはいくらでもあります。実技の4教科は受験に必要とすることはほぼ、ない。
受験勉強がしたければ予備校でも通信教育でも、生徒が必要だと思うものを生徒が選択して自ら学べばいい。放課後に自習して、職員室に質問を持ち込んだっていいと思うし。でも、学校で行う「進路指導」というのは何も大学受験指導ばかりでもない。就職をしようという高校生もいるし、一芸に秀でていて、留学を希望する生徒もいるでしょう。広く社会に出て社会人として通用する人間を養う、そのために様々な教養と人間性を養うところが学校であるはずです。
未履修科目は履修しなくてはならない。そのしわ寄せが一気に来てしまった多くの現高校3年生。もはや仕方ない、補修を行わざるを得ないのだろうけど、少なくとも履修科目が不足しているという事実に対して、生徒たちに責任はない。ただし、「受験に強い」からという理由で、そういう看板を掲げている学校を選択したという事実はあるのだろうし、その期待に応えるべく、良かれと思ってカリキュラムを組んでいった学校側であるのだろうけれど。
私たち生徒側も責任があったと思う。
履修してないのに履修していることになっていたから、おかしいと思っていたけど、そのままにしていた。
高校に問題があると思います。ただ、問題は各高校レベルでなく、地区の教育委員会、都道府県庁、文部科学省、果ては文部科学大臣の任命権者である内閣総理大臣までの全員に監督責任があります。
最も重要だと思われるのは、日本の全ての大学入試や就職試験が公正に実施されてこなかったことが判明したことです。不正に高校卒業資格を取得した者が大学に合格し、奨学金を受給する、あるいは氷河期といわれた就職戦線を勝ち残り安定した生活を手に入れる。正当に必修科目を履修した学生は、あったはずの未来を奪われる。こんなことが国家規模で行われていたと知って、子供達の衝撃はいかばかりでしょうか。
文部科学省は50時間を上限として必修科目を履修させると決めたようですが、それなら既に50時間必修科目を履修した生徒の授業はただちに終了させ、単位を与えるべきです。あるいは未履修学生に追加履修させず、入学・入社試験の成績の10パーセント程度を減点するなどで調整されなければなりません。
また、高校卒業要件を満たさずに大学生となっている者が在籍する大学など教育施設は、必修科目を履修していた受験生の成績調査を行い、速やかに名誉回復と編入手続きを行うべきです。予備校に学費を納入した学生には返金手続きを行政が仲介するべきです。もちろん必要経費は不正を行った学校が主犯として負担し、管理責任のある行政も一部を負担しなければなりません。民事の損害賠償手続きで解決するなら実損害の賠償はもちろんのこと、精神的慰謝料も請求できる大問題です。被害者の会が設立されてもおかしくないと思います。
今回多くの高校で問題となっている世界史などは、人の名前や戦争の名前などの固有名詞を年号と合致させて記憶させねばならず、学生にとって大変な負担となります。だからこそ違法建築マンションの鉄筋の本数を減らすような違法教育を行って勉強コストを下げようとしたわけで、極めて悪質です。大学などで点数調整を考慮される場合は、高校からの調査書で全教科クリアしている受験生の得点を10パーセント以上加点してやらなければならないでしょう。すくなくとも今まで不当に不合格とされ泣いてきた若者たちの名誉回復だけは、国家にも全ての教育関係者にも、なんとしても実現していただきたいと思います。まず過去に行われた大学、短大などの考査データを国が集約していただくのが焦眉の急で、違法建築マンションのように「既に書類は破棄しました」の大合唱になるのを危惧しています。
受験は若者にとっては人生の一大転機です。この重要な時機を不正に通過させようとした学校運営者は厳罰に処さねば日本の将来に禍根を残します。不正を始めた時点からの補助金は全額返済させ、今後も当分支給停止とし、統廃合も含め正当に処遇していただかないと、ルールを守ってきた学生達、先生達、また親御さん達があまりにもお気の毒です。
私は中学の時に工業高校の受験を希望していました。
しかし、担任の教師が半ば強引にいわゆる「進学校」の受験
を受けさせられました。
小中学生のころは比較的勉強ができたので、担任は自分の教え子がレベルの高い学校に何人合格させられるか?
に執着していたようでした。
とりあえずその「進学校」には合格・入学しましたが、はっきり言って自分の行きたい高校ではなかったため学
業に身が入りませんでした。
そして当然ですが「世界史」は履修していません。
なぜなら社会科の授業は「地理」・「日本史」・「世界史」の3つの中からひとつだけしか選択できないのです。
そこで当時の私は歴史系の授業が苦手だったため「地理」を選択しました。
教師も「受験に有利なのは『地理』なので、できるだけ『地理』選択するように」と指導していました。
この高校も結局は如何にしてレベルの高い大学に合格させるか?、に執着していたのです。
自分は結論として、「県教育委員会の人間も、高校の教師も、中学の教師も人間で、自分の出世に関わることに関して
非常に熱心だったんだな。」と思いました。
教育制度そのものを根本から変えていくことが必要だと思います。
実際、自分が大学に入学したときや社会に出たときに、「中高生のときに○○をもっと勉強しておけば良かった」と思うことが何度もありました。
今、いったい何のために勉強するのか?あるいは何を教えるべきなのか?
真剣に議論することが重要だと思います。
これから日本が埋没しない為には世界史に限らず日本史等過去の歴史(出来事)を正しく認識することは不可欠です。世界情勢の中で、認識の甘さを感じずにはいられません。
これをきっかけに、教育のあり方をもっと真剣に考えるべきと思います。
世界史の未履修があったようですが、世界史に関して言えば、現在の日本は食品の輸入や製品の輸出入、海外旅行などを始めいやでも海外とかかわりを持たなくてはいけません。海外に出るといろんなことがあります。我々のおじいさんたちが戦争をしていた国や、未知の宗教を信じている国などがあります。大昔の日本のように世界のほとんどの国とかかわりを持っていなかった時代なら別ですが、こういう人たちと嫌でもかかわりを持たなくてはいけなくなった以上、彼らのバックグランドを学ぶ世界史の知識は、今の日本では必須です。
ただし、これらの知識を受験に直接関係無い生徒たちに高校の段階で教えるのか、あるいはもっと早く義務教育期間の小中学で全て教えてしまうか議論があっていいと思います。
仕事にもよるが自分は今、世界史の知識はまったく仕事上必要ない。自分の仕事以外でも世界史の知識が仕事上役立つ職業の人は日本では少ないのではないだろうか。地理や政治経済などは社会に出てからも活用する機会は多々あるが歴史はクイズや雑学知識としてしか役に立たないのが現状だ。しかし高校を卒業した者の最低知識レベルとして必要であると言われればそうかもしれない。義務教育ではない高校は単位選択制の拡大的な発展、改良が必要なのか?今回の問題は教育改革の議論をより活性化させるいい機会ではあったのかも!?
生徒にはまったく落ち度はなくむしろ国の決まりを守らなかった学校に責任があると思います。実際、世界史を習うことで過去世界で何が起きたか大まかなことを知れるので世界史の授業は理系、文系問わず重要だと思われます。