著名人インタビュー この人に聞きたい!
漆紫穂子さん[校長]
東京都品川区生まれ。中央大学文学部卒業、早稲田大学国語国文学専攻科修了。他校の国語教師を経て、現在、学校法人品川女子学院の校長を務める。1989年から取り組んできた総合的学校改革による、社会と学校をつなぐ「新しい役割の学校づくり」が、教育界、マスコミで話題になっている。改革のなかでも『28プロジェクト~28歳になったとき、社会で活躍する自分をイメージする』は生徒たちの心にスイッチを入れた。人生を自らの意思で創れるように育てている。現在、品川女子学院HPのなかで日々の学校の様子を綴っている『校長日記』が人気になっている。著書『女の子が幸せになる子育て』(かんき出版)は6万部を超すベストセラー。
=> 品川女子学院 校長日記
品川女子学院は、わずか7年間で入学希望者数が60倍になり偏差値が急上昇したことで教育界のみならずビジネス界からも注目されています。短い時間にメンバーを変えずにこれだけの変化を起こせたということは、誰だってスイッチさえ入れば、自信と希望を手に入れられるということ。今回は、漆校長が教職を目指したきっかけ、最終的に国語教師を選択した経緯から、これまで数多くの生徒のスイッチを入れてきた「28プロジェクト」まで、たっぷり語っていただきました。さらに、教育の現場で長年子どもたちを見続けてこられた経験をもとに、親御さんへのメッセージもいただいた超ロングインタビューです。
取材・文 野口啓一
[INDEX]
- 第1章 女子教育に命をささげてきた家庭に生まれ、教育者としての薫陶を受ける。
- 第2章 人間関係に悩んだ小学時代。教師になる想いがますます強くなった中学時代。
- 第3章 高校時代は、あらゆる角度から自分がどの科目が向いているか検証。「好き」と「得意」が一致した国語教師を選択。
- 第4章 一教師としてのびのびと仕事がしたくて他校へ就職。水の合う校風と生徒に囲まれ、充実した3年間を過ごす。
- 第5章 大学合格という目先のことだけでなく、自立した女性の教育に主眼を置く「28プロジェクト」を推進。
- 第6章 早くから将来にアンテナを立てていれば、「好き」と「仕事」が近づく。
- 第7章 親の価値観を押しつけるのではなく、子どもの「好き」を大切にする。
●第1章 女子教育に命をささげてきた家庭に生まれ、教育者としての薫陶を受ける。
――ご実家は、代々教育者ですね。
【漆】曾祖母は、女子教育に命をささげた人でした。人はみなこの世に生まれた役割を持っているという考えのもと、大正14年に当校(当時は、荏原女子技芸伝習所)を創立しました。当時は、まだ女性に参政権がない時代でしたが、女性もいつかは男性と同じように政治や経済に参加して、社会に参画すると信じていたそうです。
祖父も両親もその想いを継ぎ、生きること=仕事することと思わせるような人たちでした。プライベートも関係なく、家族の食卓で常に仕事のことが話題になり、学校をもっと良くしたいという話がいつも出ていました。それほど、生徒命、学校命の家族でしたので、やりがいを超えて「生きる意味」を仕事というものに感じて育ってきました。
たとえば、こんなことがありました。私が受験生のとき、試験当日高熱を出し、動けないほどになってしまいました。それで、母に「歩けないから受験会場まで送って」と言ったら、「あなた、なに寝ぼけたことを言ってるの?」と言われたのです。その日は当校の入学試験日と重なっていました。「うちの学校は、今日は一年で一番大切な日なんだから、薬でも飲んで一人でさっさと行ってきなさい」と。私は試験会場で貧血を起こして医務室に運ばれました。こんな具合に、常に学校が最優先で、家庭は第二でしたね。
また、私には弟が二人いますが、女子教育が仕事の家ですから、男だから、女だから、という扱われ方は一切ありませんでした。また、仕事に忙しい両親でしたので、子供にも家事分担がありました。親が忙しい時は弟を保育園に迎えに行ったり、兄弟で協力して晩御飯の支度もしていました。おかげで、兄弟3人とも、小学生の頃から料理ができましたね。それは躾というレベルのものではなく、家族の役割分担であり、仕事としてやらされていました。そうしないと、家が回らなかったので。
――ご両親は、どんな方でしたか?
品川女子学院の運動会で母と一緒に。>
【漆】母は、自分の子、他人の子に関係なく躾けに厳しい人でした。当時の生徒が、なめていた飴玉を口から取られたとか、授業中、母の後ろでこっそり漫画を出したら、くるっと振り返って没収されたとかいう話をしていました。私の母には「後ろに目がある」と言っていましたね。また、学校の外でも、近所の子どもが悪いことをしていると、車から降りて叱っていました。それほど、子供の教育に強い責任を感じている人でした。
こんなこともありました。ある日、私が祖父に買ってもらったフルートがなくなったのです。母にたずねると、「今度、学校にブラスバンドを作ることになったんだけど、楽器が足りないので、あれを使うことにしたの」と。それで私が「黙って持って行くなんてひどい!」と言ったら、「あなたはなくなってもしばらく気がつかないくらいなんだから無駄にしてるでしょ。使いたいのに買えなくて本当に困っている人がいるのに、文句を言うなんて心が狭い!」と、逆ギレされたんです(笑)。
一方、父は、学校から帰ってくると極端に機嫌の悪い時があったり、子供が大事なことを頼んでも忘れてしまうことがあったりで、尊敬できないと感じることもありました。しかし、一緒に仕事をするようになって職場の父を見ると、温厚で回りの人に気を遣い、仕事熱心なことが分かり、イメージが変わりました。恐らく、学校で神経を使い果たし、家で自分を解放することで精神のバランスを取っていたんでしょうね。
――親の厳しさに反発するケースもありますが、そういう気持ちはなかったのですか?
【漆】同級生が集まって遊ぶとき、友達の家に行くとお母さんがいて、おやつなどを出してくれました。でも、うちに呼ぶと誰もいなくてお茶も自分で出さなければなりません。それが恥ずかしくて、「家にいてくれるお母さんがいい」とつぶやくこともありました。ただ、母が厳しかったので、強く反抗する余地はありませんでした。また、当校もいろいろと大変な時期があり、両親がどんな状況でもつねに学校のために、生徒さんたちのために命をかけて働いている背中を見ていましたから、納得せざるを得なかったというのもありますね。
――ご家族の中で、誰の影響を最も受けましたか?
祖父の暖かい笑顔に守られて。>
【漆】祖父の影響が最も大きいと思います。大人は子どもに対して、目下の者という見方をする人が多いと思いますが、祖父は子どもの私に対しても、つねに一人の人間として話をしてくれました。子どもですから浅知恵でいろいろやりますが、そんな時、「僕はこう思うな」という言い方で諭してくれました。母親と喧嘩して怒っていると、「ママはあなたのことを思っているから、そう言ったんだと僕は思うな」とか、欲しい物があって相談すると、「これは、中学生の時に身につけるようなものではないと僕は思うな」というように。
子どもは、相手がいい加減に聞いていると、それを感じ取ります。その点、祖父はきちんと聞いて、しっかり受け止めて、私を尊重した対応をしてくれました。生徒と接していると、大人の目から見たら「これは多分失敗するだろうな」という時があります。そんな時、頭ごなしに叱る前に、この子の立場からはどのように見えるのかと一呼吸置いて考えられるようになったのは、祖父のおかげだと思っています。
――休みの日は、ご両親と遊園地や買い物に行くことはありましたか?
【漆】もちろん、そういうこともありましたよ。ただ、仕事がベースにある家でしたので、休日はゆっくり羽を伸ばそうという考えはありませんでした。祖父は日曜もよく学校に出ていましたから、そこへ遊びに行ったりしていました。
父が副校長くらいの時だったと思いますが、バレー部の監督が体調を崩したため、臨時で顧問になったことがありました。顧問になると、試合前の練習で珠出しをやらないといけないそうで、その練習のために日曜日に学校に行きました。そのとき、私は父がアタックする球を渡すのを手伝ったのですが、副校長で忙しいのにここまでやる必要があるのかなと思い、「どうしてそんなことまでやるの?」と聞くと、父は「生徒のためだから」と答えました。さらに、「自分ばかり(忙しい)と思わないの?」と聞いたら、「仕事は与えられるものだから、嫌になることはないんだよ」と言ったんです。その時は意味がよく分からず、そんなものなのかなと思ったのですが、今私が解釈するに、「仕事は、できる環境とやれる能力がある人に天が与えるもの。だから、それに感謝しこそすれ嫌にはならない」という意味だったのではないかと思います。曾祖母も、感恩奉仕という言葉をよく使い、「自分はあの時代に大学まで行かせてもらえる恵まれた環境にあったので、天に感謝して必ず社会に返さなくてはいけない」と言っていました。そんな家族で、全員が仕事を自然に受け入れて、プライベートの時間だからと線を引くのではなく、平日週末関係なく淡々と働いていましたね。
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