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「もっと教えて!みんなの仕事」オープンによせて


村上龍氏:「もっと教えて!みんなの仕事」オープンによせて
小説家になりたかったら、村上龍が何と言おうが小説を書いちゃえばいい。そういうアナウンスが世の中に満ちていなきゃいけない。

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サイトオープン(昨年10月5日)より4ヶ月。当サイトでは「新しい人生を、ここから大きく切り開こう」をテーマに掲げ、『好き』から選ぶ職業検索を中心にコンテンツを提供してきましたが、間もなく「これから仕事を選ぶ人」と「今仕事をしている人」がインタラクティブに利用できる新企画「もっと教えて!みんなの仕事」をオープン予定です。
好きな職業に就き、いきいきと働く大人が、子どもに向けて働くことの素晴らしさを発信する。将来の職業を考え始めた人からの質問に、今、仕事に就いている人が答える。
そんな新企画のオープンに向け、子どもが生きていく力を身につけるために、今、大人が発信すべきメッセージは何か──。『13歳のハローワーク』著者、村上龍氏に聞きました。

「何をやって食べていきたいか」じゃなくて、「どうやったら食っていけるか」を考えていた。

【代田(編集長)】 まず、村上龍さんが現在職業にしている「作家」になろうと考えたきっかけや時期について、お聞きしたいと思います。
武蔵野美術大学に入学した当初は、絵描きになるという将来イメージをお持ちだったのでしょうか。在学中に絵筆をペンに替えた瞬間、つまり小説を書こうと思ったきっかけが何だったのか、そのあたりからお話しいただけますか。

【村上龍氏】『13歳のハローワーク』にも書きましたが、幼稚園の先生とか周りの大人たちに、サラリーマンには向いていないと小さい頃から言われていました。自分でも、なんかこう、共同作業とか、人の命令や指示を聞くのが好きじゃなかった。だから、サラリーマンには向かないのかな、とは思っていました。
僕が小学校の頃は高度成長の真っ盛りだったので、自分が「何かをしてお金を稼がなきゃいけない」なんて、周りの子どもは誰も思っていないんですよ。僕がいた佐世保なら、工業高校を出た人は佐世保重工業に入ると決まっていました。レールに乗っていけば自然にお金が入ってくるようになる。だから、自分は何かをして金を稼がなきゃいけないんだと意識する子どもはあまりいなかったんじゃないかと思うんですよ。でも、僕はずっとそれを意識していました。
大人になると何かで金を稼がなきゃいけない。それは当たり前のことなんですが、そういったアナウンスメントが今もないんですよね。これは、雇用という問題について能天気に構えていても許された頃の名残だと思います。
昔、日本の失業率はずっと2%未満だった。戦後も大量の復員者が来たのに、農業が吸収したので、奇跡的なことに日本では失業率が5%未満だったんですよね。その後もしばらく農業が吸収して、高度成長が始まって、人手不足で中卒者が「金の卵」と言われるようになった。人手不足がずっと続くと、人間が余る状態に対応できなくなるんです。人手不足の頃は「何で食っていこうか」なんて考えなくてもよかったんですが、今、実際に労働力が余り始めているときに「何で自分はお金を稼いでいくんだろう」という問いが生まれないのが不思議といえば不思議です。
僕は「何かで稼がなきゃいけないんだ」とずっと思っていましたから、小説家で食べていくとか絵描きで食べていくかというのは、「希望」じゃないんですよね。「何をやって食べていきたいか」じゃなくて、「どうやったら食っていけるか」を考えていた。
大学で絵も描いていたんだけれども、食べていけるほどの腕がない。いよいよ4年生になって、おやじも仕送りを止めると言うし。仕方がなくて、小説、書いたんですよ。小説書きというのは、みんなそんな感じだと思うんですよね。
だから、いっぱい選択肢があって、ファミレスのメニューから選ぶみたいに小説家になることはあり得ないです。そういった意味では、小説家に限らずすべて同じだけれども、何かを「選ぶ」というのは、ちょっと違うような気がするんですよね。

「就職しろ」「落ち着き先をみつけろ」じゃなくて、「大変なリスクを負う」
そういう危機感のあるアナウンスメントが足りない。

【代田】 何かで稼いで食べていかなくてはいけないという基本のアナウンスメントがないとのことですが、大人が積極的に職業の情報を発信していく場があったほうがいいと我々も思っています。

【村上】もちろんそうです。昔は必要なかったんじゃないですかね。必要ないものは存在しないんで。
ただ、「おまえら、どうやって食っていくんだ、ちゃんと自分で飯を食っていく道を考えろ」とアナウンスメントをする場所もあるんですよ。それは刑務所や少年鑑別所。特に少年刑務所の場合ですが、社会で生きていくための技術を身につけろというカリキュラムがたぶん組まれているんです。それを一般社会で言わないのは、やっぱり不思議です。昔は何かが決まっていて、言う必要がなかっただけですよね。
もちろん、今の世の中が刑務所のようになったという意味じゃないですよ。

【代田】では、今後は、いわゆるニートに対する指導やアドバイス、キャリアカウンセリングの場も増えていくだろうとお考えですか。

【村上】ニートもいろいろあるので一概には言えないんですけれども、ニートが何で誕生したかというと、子どもの頃からの「自分で生活の糧を稼いでいかないと大変なことになる」というアナウンスメントがなかったからですよ。今でもないんじゃないですか。アナウンスメントがあるとしたら「就職しろ」です。「落ち着け」「落ち着き先を見つけろ」とか。ここでは「就職=就社」ですが、そうじゃなくて、「何とかして自分で生活の糧を見つけていかないと、すごくリスクがあるし大変なことになる」というアナウンスメントだったら、また受け止め方が違うんじゃないかと思うんですよ。そういうアナウンスメントが今でもないと思います。

向いている人には簡単、向いていない人にはすごく難しい。
小説家がどんな仕事か、簡単なのか、苦労が多いのか、そういう質問に意味はないです。

【村上】芥川賞をとって、小説がベストセラーになって大金が入ってきても「これで食べていける」とは思わなかったですね。そんな大金は、すぐなくなっちゃうんで。
でも、芥川賞をとった後は、映画を撮りたかったんです。
すごく印象に残っているのはね、当時、フィリピンでフランシス・コッポラが「地獄の黙示録」を撮っていたので、知り合いを通じて、コッポラのコテージに行って一緒に食事をしたんです。そのときに、コッポラに言うのもおこがましかったんですけれども、「映画監督になってみたいんだ」と言ったんですよね。「映画を撮りたい」って。そうしたら、コッポラがね、「映画監督というのは世界で一番簡単な職業なので、誰だってなれるよ」と言ったんですよ。「僕だって監督になっているぐらいだから、映画、撮ればいいじゃん」みたいな感じで。「どういうことなんだろうな」と、そのときに思ったんです。
今思うと、おそらくコッポラは、世界の何万とある仕事の中で、映画監督に向いている人にとっては映画監督が一番簡単なものなんだよと言いたかったんだと思うんですよね。その答えはすごくいかしてるな、と思います。
なぜかというと、僕の友達の子どもが漫画家になりたいと言ったときに、友達が「漫画家がどんなに大変なのか、知ってるのか」と子どもに言ったらしいんです。でも、コッポラの意見をかりると、漫画家に向いている人にとっては、漫画家は世界で一番簡単な職業なわけですよね。その辺のニュアンスが、日本社会にその文脈がないからすごく伝わりにくいんですけど、小説家がどんな仕事か、簡単なのか、苦労が多いのかは関係ないんですよ。僕なんか、小説家になって苦労なんかしたことないですからね。つらいこともないし。それは僕が才能に溢れているからじゃなくて、小説家に向いているからなんですよ。向いていない人には向いていないから、すごい難しい職業になっちゃうわけですよね。
世の中には今みたいな「漫画家がどれだけ大変な仕事か知っているのか」という言い方がすごく多いと思う。もう一つは「素晴らしい職業だから、あなたもやりなさい」のどっちか。ただ、漫画家でも映画監督でも宇宙飛行士でも、一般的な営業とかでも、向いていればeasyなんです。向いていなかったら、すごい大変なんですよ。営業に向いている人には営業のつらさというのはないと思うんですよね。向き不向きはその人次第だから、「小説家のつらさって何ですか」という質問は、あまり意味がない。小説家に限らずすべての職業において筋違いの質問だと思うんです。
だいたい、仕事のつらさとか言う人って、基本的に人間関係が原因でしょう。小説家は基本的に編集者も選べるし、人間関係で苦しむことはないですからね。

「醍醐味」とかじゃなくて、仕事というのは淡々とやるものなんですよ。

【村上】「この仕事のつらさって何ですか」「どこが一番大変ですか」「どこが一番楽しいですか」のたぐいの質問というのは、向き不向きで職業を選んでいない時代に、会社でどんな苦労や喜びがあるかを先輩が説教のようにしゃべる名残じゃないかと思います。どんな仕事にも大変な部分と充実を感じるところがある。すべての仕事にあると思うんですよ。職業に貴賤がないというのは、そういった意味だと思うんです。
だから、小説家以外の人が小説家をイメージして、こういうところがつらいんじゃないかなと言うのって、面白くないですよね。僕なんか全然興味がないから、クライマーは宙づりになって大変だろうなと思うけれども、あれは結構、充実感があるのかもしれない。ほかの職業の場合はわかんないですよね。だから「作家って、こういうときにすごく楽しくて、充実感があるんですよ」、そんなことを真に受けて作家になっても駄目なんですよ。
結局、その仕事に向いている人が仕事をやるときって、淡々とやると思うんですよね。「醍醐味」とかじゃなくて、仕事というのは淡々とやるものなんですよ。つらいとか、苦しいとか、これがすごいとかでやっているうちは、まだ僕はアマチュアじゃないかと思うんです。淡々とやるんですよ。
例えばサッカーの中田英寿選手と話すときにも感じることですが、ゴールが決まったときはきっと嬉しいでしょうし、試合に出れないときはつらいでしょうけど、それでやっているわけじゃないんですよね。長い時間軸のポイントごとの、どこが面白くてどこがつらいかという一つ一つに反応してやっているわけじゃない。もうそれ以外に生き方がないからやっているわけです。でも、淡々とやっているから充実感がないかというと、そんなことはないんです。
職業そのものはニュートラルなんですよ。いいとか悪いとかじゃなくて。

小説家になりたかったら、村上龍が何と言おうが小説を書いちゃえばいいわけですよ。
そういうアナウンスが世の中に満ちていなきゃいけない。

【代田】編集部のブログには、実際に「小説家になりたいんですが」といった質問が書き込まれたりしています。この問いに与えるヒントとして、何かメッセージがありますか。

【村上】それはね、もう、最初からおかしい。「小説家になりたいんだけれども」じゃなくて、もう書いているはずですもん、小説を。
だから、それは甘えですよね。「自分は小説家になりたいと思っているんだけれども、本当にそれはいいんだろうか」と誰かに聞いたってしようがないです。小説を書けばいいんだから。「フランス語の通訳になりたいんですけれども」といったら、まずフランス語を勉強すればいいわけですよ。だから、そういう質問ははっきり言ってよくないですよね。そういうのに答えているから、みんなわからなくなっちゃうんですよ。答えようがないです。「小説家になりたいんです」と言うなら、小説書けばいいじゃないですか。
先ほどの話で、コッポラもきっとそう言いたかったんだと思うんですよ。「映画を撮りたいんだけれども、大丈夫かな」みたいな僕の甘えなんですよ。「コッポラが大丈夫だよと言ってくれたら、勇気が出るかも」という。でも、撮りたかったら、コッポラが何と言おうが撮ればいい。小説家になりたかったら、村上龍が何と言おうが小説を書いちゃえばいいわけですよ。そういうアナウンスが世の中に満ちていなきゃいけない。
小説家は日本に100万人いなきゃいけない職業じゃないから、「書けばいい」という答えでいいわけですよ。だって、小説家になる人がどんどん増えてもしようがないですもん。ただ、営業の仕事をしたいとか、エンジニアになりたいという人には、ちょっとまた答えが違いますよ。組織の中で働くし、人も多いし、それぞれ何千種類もあるし。かつ、例えば営業なら、昔と今ではコンセプトが大きく変わっている時期だから、それはすごく説明しなきゃいけないです。
ただ、小学生の中で営業をやりたいという人はあまりいないんで、そういう質問は来ないですけどね。

「大人になったら何かで食っていかなきゃいけない」
その自覚を持っている子どもが特別視されるというのは、すごく不思議だなと思います。

【村上】この前、上原ひろみという若いピアニストに会ったんですが、彼女は、物心ついた頃からピアノとともに生活していくことしか頭になかったそうです。ほかの仕事に就くことはまったく考えていなかった。そして、そのための戦略を持っていて、いつアメリカに勉強に行こうかとか、ずっと考えていたらしいです。
だから、大人になったら何かで食っていかなきゃいけないという事実を子どもたちが自覚するかしないかは大人の社会の問題で、それを感じている子どもも、今は少数だけど、いるんじゃないですか。無自覚に自分のやりたいことをしていたり、自分に向いている何かを自覚している子どもがそう思うのかもしれない。今、日本の社会でその自覚を持っている子どもが特別視されるというのは、すごく不思議だなと思っています。
今でも、高校になると、どの会社に入るとか、どんな方面に進むというアナウンスメントはあるんだけれども、「何かで食っていかなきゃいけないんだ」という基本のアナウンスメントがないんですよね。何でなんだろうな。

【代田】その辺の一つのメッセージが『13歳のハローワーク』に込められているということですね。

【村上】それは、込めましたけれどもね。

【代田】どうもありがとうございました。

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