玩具(カルタ、凧、双六)


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玩具(カルタ、凧、双六)カルタは平安時代から存在する。もっともこのころのカルタは紙製ではなく、貝でできていた。貴族の遊びであった趣向をこらした貝に歌を詠み添える「貝合わせ」、主に武士に人気があったハマグリの貝を使ってトランプゲームの神経衰弱のように遊ぶ「貝覆い」などである。紙製のカルタが誕生したのは、16世紀に木版印刷の紙製南蛮カルタが広まってから。なおカルタはポルトガル語のcartaが語源である。
凧は平安時代に中国から渡来した。鎌倉時代までは、敵陣偵察など軍事目的を果たすための道具で、庶民の遊び道具になったのは、16世紀に入ってからだという。和紙の製造が各藩で奨励されたこと、浮世絵の制作で木版技術が向上したことを受けて、江戸時代には多種多様な凧が生産されていた。その後、明治時代の文明開化で電信柱が増えたことにより、次第に凧の人気が下がり、正月の子供の遊びとして残るのみになってしまった。
双六の前身は、15、16世紀の漢字だけの「仏教双六」。これは仏教僧が仏教用語を学ぶための道具である。現在のような絵が入る遊び道具としての双六ができ上がったのは、江戸時代に入ってから。江戸の町人文化が台頭してきた18世紀末に隆盛を極める。なおこのころの双六は、単なる遊び道具ではなく、優れた浮世絵師や絵師が制作した芸術品であり、小ばなしやゴシップを盛り込んだ出版物でもあったそうだ。

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【カルタ職人】
カルタづくりの工程は、台紙をつくる「芯づくり」、銅版で輪郭線を転写する「骨刷り」、型紙をあて色の淡い順に染料を刷り込んでいく「色入れ」、裁断機で切り分ける「断ち」の4つに分けられる。戦後、カルタづくりの伝統は一時途絶え、1975年に一人の職人が失われた技法を復元し、以来カルタづくりを続けていたが、職人の引退により現在は再び伝統が途絶えている。カルタづくりの工程一つ一つに伝統的な技法が用いられており、美しい伝統のカルタづくりを残すことが望まれている。

【凧職人】
角凧・六角凧・奴凧など、様々な種類の凧が平安時代より地方ごとに受け継がれている。凧はかつて時節に関わらず楽しまれるものであったが、電線が走り始めたころから正月特有のものとなった。凧には装飾的な要素も強いため、インテリアとして利用されることもある。凧職人は凧づくりの工程を一人ですべて取り持つ。凧職人に師事するか独学でとにかく凧をつくり始めることが、凧職人となる第一歩と言えるだろう。

【双六職人】
江戸時代には天台宗に関する学習をテーマとした「仏法双六」が、明治には文明開化や富国強兵をテーマとした双六が作られるなど、双六はその時代の世相を反映しながら、今日まで長い歴史を伝わってきた。かつては浮世絵師が職人として双六を作っていたが、現在では印刷によって量産されており、職業的な双六職人は存在していない。

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