マタギ
<< 書籍「13歳のハローワーク」の職業解説 >>
日本の歴史の中で、マタギは特異な存在である。新潟や秋田にはマタギだけで構成されている村もあった。クマやカモシカなどを狩るマタギは15歳くらいから勢子(セコ・獲物を追い立てる役)などをしながら修業を積み、「シカリ(スカリ)」と呼ばれる統率者の指示に従って集団猟を行った。おもな道具はナタとヤリで、冬眠中のクマを狙う独特の猟を考案した。さらに里の言葉とは違う特別な山言葉を使い、厳しい作法とタブーで自分と集団を統制した。狩猟期は冬と春で、毛皮や編笠を被って何日にもわたって山に入り、夏と秋は山菜やキノコを採ったり、熊胆を作ったり薬草から薬を抽出したりしたが、乱獲は行わず、多くのマタギは山への敬意を持って狩猟を行った。つまり自然への畏敬の念を持ち、その結果環境と生態系は保護されていたのである。
狩猟民には独特の精神生活がある。クマなどの動物の姿をした神がすべての生きものの主であり保護者であって、また人間を助ける大いなる力であるという信仰は、ほとんど全世界の狩猟民に見られる。マタギの世界では、狩人は山の幸運を「しゃち」と呼ぶことがあった。獲物から抜き取った弾丸を再利用して新しい弾丸を作り、それを「しゃち玉」といって珍重する風習もあった。なかなか獲物が捕れない狩人が、幸運が続く腕のいい狩人に「しゃちをつけてもう」というジンクスもあった。「しゃち」は、「幸」に通じるものだといわれている。そのほかにも協同狩猟の獲物の分配に際していろいろと特殊な慣行があり、また「矢先祝い」「矢ひらき」「毛祝」「血祭」「血祓」などさまざまな祝事や儀礼行事があった。偶然と大自然に運命を左右され、深い山々で生きものと向かい合う狩猟には呪術的・宗教的な要素が関わっていたのだ。マタギが得た毛皮や熊胆は高値で取引されたが、人口の急激な増加や鉄砲の大幅な普及によって山野の野獣が激減したことにより、近年では狩猟では生計を立てることが難しくなった。また、命がけの厳しい仕事であることから後継者不足の問題もあり、現在では職業としてのマタギはほとんど行われておらず、伝統の継承が危ぶまれている。しかし、歴史的に農耕・採集・漁労が中心だった日本社会の中で、マタギは特別な狩猟社会を維持してきた。狩猟社会は、農耕その他の、より複雑なシステムを持つ社会よりも、制度が個人を規制・支配する度合いが少ないという指摘もあり、マタギは独自のロマンチシズムをもってわたしたちの想像力を刺激するのだ。
【特集:13歳が20歳になるころには】環境-21世紀のビッグビジネス
この職業解説について、感じたこと・思ったことなど自由に書き込んでね。
わからないこと・知りたいことは、働いている大人に聞いてみよう!
- ウォーキングインストラクター
- 登山家
- 森林官